一応、これも水路橋のようです。【立野橋】(山都町)
2011 / 05 / 07 ( Sat )
連休中は忙しく、ようやく記事を書くことができました。
レジャーのレの字もできませんでしたが、忙しい日々に感謝です。

さて、前回の「金内橋」の続き。
福良井手が「金内橋」の下を通り、その先に架かる石橋(水路橋)が「立野橋」です。
最初周辺を捜しましたが、よく分からなかったので、地元の人に聞いてようやく発見。

立野橋

のどかな田園風景にとけこむように存在しています。
石橋というよりは、石垣にポッカリとトンネルが開いている感じ。

ここからは水路橋かどうか分かりません。

で、近づいてみると・・・

立野橋

石垣の上に水路がありました。
手前には、「日向往還」(ひゅうがおうかん)の道標がありました。

日向往還とは、肥後の国(起点は熊本市新町札の辻)から、現在の上益城郡嘉島町~御船町~山都町を通り、日向の国(宮崎県、終点は延岡市)へ至る旧藩時代の歴史街道。
(山都町ホームページより、そのまま引用)

この周辺の石橋は、結構この歴史街道に関係するものが多いんです。

「立野橋」は、半分が水路、残り半分が道路になっています。
当時も同じ道幅だったのでしょうか?
荷車の離合は厳しそうですが・・・

架橋は、嘉永3年(1850年)。
全長30.3m、幅2.6m、高さ6mあります。
石工(棟梁)は、卯市(宇市)。

「通潤橋」建造のための試作品という説もあるそうですが、いくつも架けた石橋の経験をもとに「通潤橋」が造られたと考えると、結構多くの“試作品”があるということになりますね。

立野橋3

下に降りて、トンネル、いやアーチ正面から眺めてみました。
川の立体交差です。(水路橋は基本そうですね)

近所の家の石垣が立派でした。
石橋を手掛けた石工が、(宿泊の)お礼に造った「丈八(橋本勘五郎)の石垣」だそうです。
立派なのも納得。
見とれていたので、写真を撮るのを忘れてしまいました・・・。

この辺は、ホントのどかですねえ。
普段、多忙にしている人には、ぜひ足を運んでほしいスポットです。


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