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三社参りで訪れた宇土最大の神社と裏山の国史跡【西岡神社、中世宇土城跡】(宇土市)
2011 / 01 / 12 ( Wed )
正月の三社参りで訪れた宇土市最大の神社「西岡神社」には、昨年の11月に一度行ったことがあり、なかなか紹介できずにいました。
ちょっと季節はずれな写真もありますが、紹介します。

この「西岡神社」(西岡神宮)に行きたいと思ったきっかけは、宇城市不知火町にある「十五柱神社」に行ったことでした。
そのときの目的は石像の仁王像でしたが、「十五柱神社」の本社が「西岡神社」ということで、ひょっとしたらそこにも仁王像があるのでは?と思ったのです。
(そのときの記事はこちら

西岡神社1

イチョウの黄葉が美しい時季の写真です。

西岡神社2

気に入った方は、来年行かれてください。

西岡神社3

あらためて、「西岡神社」の由緒です。
そんなに難しくはないので原文をそのまま書きます。

一.祭神
  一の宮 春日大明神 主祭神 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
  二の宮 八幡大神  主祭神 應神天皇(おおじんてんのう)
  三の宮 住吉大明神 主祭神 底筒男神(そこつうのおかみ)
                中筒男神(なかつつのおかみ)
                表筒男神(うはつつのおかみ)

二.祭日
  四月十九日 春季大祭
  十月十九日 秋季例大祭

三.由緒
   当社は人王四十三代元明天皇の和銅六年(七一三)諸国郡郷割定の時勅願創建の社で春日住吉の西社を国郡鎮護を祈るため勧請せられ、三百六十六年後の御冷泉院の永承三年中関白道隆宇土鶴之城を築く時八幡信を祟添え三の宮大明神といった 以後小西行長城主となり神佛をきらい社寺を焼く 其の時綸旨(りんじ)注物記録ことごとく焼く後、加藤清正公社殿を再建し、細川公に至り補修再建され現在にいたる。
   御祭礼の呼物馬追、獅子舞県無形文化財は細川時代に始り二百数十年の伝統をもつ


以上です。(昭和60年に書かれています)
祭神の順番が由緒とちょっと矛盾しているのが気になりますが、神社の概要はよく分かりました。
ちなみにホームページもあります。
若干詳しいです。誤字も訂正されていますが、由緒にある「宇土鶴之城」は小西行長が築いた「近世宇土城」のことで、ここでいう永承3年(1048年)に築かれたのは「中世宇土城」のことだと思います。
紛らわしいので、ごっちゃになってしまったのでしょうね。

それにしても、神社や寺院は、小西行長に相当ひどい目にあったのでしょう。
まあ、キリシタン大名ですからね。
功績も大きいだけに、扱いが難しい人物だと思います。

西岡神社4

立派な楼門。

西岡神社5

御鎮座1300年をまもなく迎えるにあたって、記念事業が行われるようです。
寄付を募っています。
総事業費5000万円です。
少ない金額ではありません。でもこのくらいの神社になると集まるんでしょうねえ。
よく分かりませんが。

西岡神社6

社殿です。

西岡神社7

社殿を囲む石柱です。
この色味(ピンク色)はやはり馬門石なのでしょうか。
テンションがちょっと上がりました。

さらに上がるものを発見。

西岡神社8

「古代の神石」そして「磐座(いわくら)百官石」と書かれています。
古代では神々の降臨の場としていた非常に珍しく貴重なものだそうです。

詳しい言い伝えがホームページに書かれていました。

「和銅六年に当社勧請の時、神の降臨を仰いでいた神石(磐座)である」
とあります。
神様がこの石の上にいらっしゃったということなんでしょうか。
半分がここにある石で、残りの半分は十五柱神社前の磯にあるそうです。
しかもこの神石の変遷が波乱万丈ですごいです。
どちらも、いろんな人の庭石になって、現在の地に戻ったのです。
(よかった)

西岡神社9

そっと触れて、神の御加護を仰ぎました。

さて、神社の境内を散策していると、裏の方へ小道が続いていました。
先へ先へと進むと、公園らしき場所に到着。

中世宇土城跡1

裏山が国史跡「中世宇土城跡」なんです。
神社だけで帰ろうと思ったのですが、そうはいかなくなりました。

中世宇土城跡2

結構広いです。
さらに上へと登りました。

中世宇土城跡3

公園整備されていて、堀などが復元されていました。
写真は「千畳敷」と呼ばれる最上部で、城主の館などがあった場所です。

中世宇土城跡4

建物が一つありました。
「土足厳禁」と書かれていましたが、床にはどんぐりがたくさん転がっていました。
人間以外は読めないでしょうから仕方ないかも。(あと子どもも)

だいぶ省略しましたので、詳しくは宇土市のホームページをご覧ください。

結構な運動になります。
眺めもいいので、天気の良い日にどうぞ。

あと、この近くに「不知火型土俵入り」の創始者といわれている第8代横綱「不知火諾右衛門(しらぬいだくえもん)の墓」があるそうですが、発見できませんでした。
再度挑戦する予定です。
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