国指定史跡予定地へ【川尻米蔵跡(外城蔵跡、船着場跡)】(熊本市)
2010 / 06 / 24 ( Thu )
ちょっと間が空いてしまいましたが、うなぎの後の話です。

先月(先々月?)だったか、

「国の文化審議会が、熊本市川尻の熊本藩川尻米蔵跡(外城蔵跡、船着場跡)を国の史跡に指定するよう文部科学相に答申した。」

というニュースが流れました。

不思議なもので、それまでは単に“歴史のまち川尻らしい史跡”として船着場跡の石段を見に行ったりはしましたが、“国指定”の響きに惹かれ、あらためてその魅力に触れたいという気持ちになったのです。

以下、毎日新聞サイトから

 川尻地区は中世から緑川や支流の加勢川を利用した水運の拠点。1588年、肥後に入国した加藤清正が本格的な整備をしたとされる。軍港としての側面もあり、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には兵や兵糧を送り出した。
 米蔵跡は江戸時代、熊本藩が年貢米の集積や搬出の拠点として利用した。主に藩南部から集めた年貢米をいったん納入して大坂に搬送していたという。1832年の絵図には3カ所に蔵が描かれているが、現存するのは外城蔵の一部だけ。幕末の19世紀中ごろに造られたとみられ、東棟と西棟がある。ともに木造平屋建てで東棟が585平方メートル、西蔵が210平方メートル。
 船着場は16世紀末に整備された。加勢川右岸に13段の石段形式で造られ、全長約150メートル、幅平均4・7メートル、高さ平均3メートル。終戦直後まで天草からの木材を運ぶためなどに使われていたという。


蔵の存在は回覧板などの地元向けの広報誌で知っていましたが、ここまで歴史があるものとは認識不足でした。
今思うと、確かに見学会などが頻繁に行われていたような気がします。

川尻船着場跡1

川岸にある祠に、船着場跡の説明が書いてあります。
その近くに、きれいな説明板もあります。↓

川尻船着場跡2"

江戸時代には、重要な港だったんですね。

川尻船着場跡3

当時の石段がきれいに残っています。

川尻船着場跡4

写真上のコンクリートの橋は、九州新幹線です。
下の赤い鉄橋は、現在の鉄道です。
こうして見ると、過去そして、現在、未来というそれぞれの輸送手段が混在していることに気づき、確実に時代が移っていることを実感します。
この時代の混在はどこにでもあることで、普段なかなか気付かないんだと思いますね。

川尻船着場跡5

このレンガ造りの何かも史跡でしょうか?

川尻船着場跡6

ただのゴミ焼き場のようですが、そうではないのかもしれません。

さて、次に「御蔵」を見に行きました。

御蔵1

壁が張り替えられているせいか、外見は普通の大きな倉庫に見えます。

御蔵2

頑丈な鉄の扉はしっかりと閉じていました。
やはり、ちょっと古い倉庫の印象しか持てませんでしたが、保存状態が良いせいかもしれません。
それにしてもデカイ倉庫でした。
(中が見たかった・・・)

今回は国指定記念ということで歴史ある川尻のほんの一部しか紹介しませんでしたが、その他にもいろいろあるんですよね。
また機会があれば、うなぎのついでにまわりたいと思います。
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