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石のお導きか?石橋と古代寺院跡をめぐる①【山崎橋】(宇城市)
2010 / 05 / 26 ( Wed )
久しぶりに宇城方面へ行くことになり、せっかくなので、通り沿いにある石橋を見てみようということで、宇城市豊野町にある「山崎橋」へ立ち寄りました。

山崎橋1

石橋の優等生的なきれいなアーチを描いています。

写真と撮っていると、近所のおじさんが歩いて来て「午前中に来ると、こっち(下流)から写真がとれるのにねえ」と言ってそのまま行ってしまわれました。
確かに、午後だったため、太陽の光が当たって上流側から撮影していました。
下流側からの石橋の見た目がとてもいいのかと思って見てみましたが、そうでもなかったので、結局何のアドバイスだったのか、いまいち「?」でした。
(なんかモヤモヤ・・・)

山崎橋4

小熊野川に架けられた石橋「山崎橋」は、天保2年(1831)に架けられ、慶応2年(1866)に欄干が取り付けられたと説明板に書いてありました。残念ながら石工は不詳と書いてあります。
でも、それなりの技術を持った石工が手掛けたものと思われます。

後で宇城市のホームページを見てみると、「石工は山崎在住の茂左ヱ門、彦左ヱ門」と書いてありました。
石工が判ったのなら、説明板も書き直して欲しいですね。

この石橋で有名なのは、この石柱↓

山崎橋3

「車一切通遍加良須」

と刻まれています。
「車一切通るべからず」という意味です。

山崎橋6

確かに通れません。

山崎橋5

ちょっと欠けていますが、道しるべがあります。
左・・・マソ?ウ?
昔の人は、こういうのを頼りに、旅をしていたんですね。
方向音痴の方は大変だったことでしょう。

山崎橋2

ここでちょっと気になることがありました。
上の写真は山崎橋の欄干なんですが、とてもきれいです。
ただ、先述した“慶応2年(1866)”という欄干を作った年を考えると、どうも疑問です。
コンクリートに見えます。
(おそらくそうでしょう)

これも説明板できちんと表示してほしいですね。
説明板が書かれたのは昭和58年ですよ。(写真参照)
ひょっとして説明板自体が文化財的扱いになってるのでしょうか?
であれば、それを説明する看板が必要ですよ。
(なんかこんがらがってきました)

山崎橋7

近くにあるお地蔵さんを見て、ちょっと一息。
木の中にもいらっしゃいます。
きれいな花が、地元の方にとても大切にされているというのを物語っています。

この後、道を上流へと進み、偶然“古寺院寺跡”に出会うのでした。

(次回へ続きます)
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