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境内をぐるっと見てみると・・・【八代神社(妙見宮)】(八代市)
2010 / 02 / 11 ( Thu )
久しぶりの熊本南下で、八代(やつしろ)へ行きました。
あいにくの雨降りで、息抜きの寄り道もできないかとガッカリしていたんですが、午後から雨も止み、ほんの少しですが、八代をちょっと探訪してみました。
(ほんの限られたエリアですが)

そして、訪れたのが「八代神社」(やつしろじんじゃ)別名(旧名)「妙見宮」(みょうけんぐう)です。
朱塗りの柱などに加え、細かな彫刻にも丁寧に彩色が施されていて、とても美しい社殿です。

八代神社1

妙見宮は、上宮・中宮・下宮の三社からなり、現在の神社は下宮にあたります。
(上宮と中宮には行ってません)
明治4年・1868年に「妙見宮」→「八代神社」へ名称が変更になっているのですが、そもそもの「妙見信仰」というのは何なのでしょうか。

妙見信仰は、北極星あるいは北斗七星を崇拝する信仰から起こっています。
神社内にある「妙見由来」には、

妙見神は聖なる北極星・北斗七星の象徴なり。
 妙見神の来朝
天武天皇、白鳳九年(六八〇)、妙見神は、神変をもって、目深・手長・足早の三神に変し、遣唐使の寄港地、明州(寧波)の津より「亀蛇」(玄武)に駕して、当国八代郷八千把村竹原の津に来朝せり。

とありました。
「亀蛇」は「妙見祭」にも登場するのでよく分かるんですが、妙見神そのものはまったくイメージが浮かびません。もともとは道教系の信仰らしく、明治の神仏分離政策までは「妙見大菩薩」という仏様を信仰していたようです。

また、桓武天皇の勅願によって延暦14年(795年)、八代市横獄の山頂に社殿が創建された(上宮)のが始まりで、永暦元年(1160年)、二条天皇の勅願により上宮の麓に新しい社殿(中宮)が造られました。
下宮は、文治2年(1186年)建立と書いてありました。
現在の社殿は、元禄12年(1699年)と寛延2年(1749年)に改築されたときのもので、熊本県の重要文化財にも指定されています。

八代市のホームページによると、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、国常立尊(くにとこたちのみこと)そして北斗七星(ほくとしちせい)を祀っているそうです。
この中の「天御中主神」が「妙見大菩薩」の替わりに祀られるようになったようです。
とはいえ、長い歴史があるので、今でも神社そのものが「妙見さん」と呼ばれていますし、毎年秋にある「八代妙見祭」は、日本神話とはちょっと違う、異文化を思わせるお祭りです。

※参考:熊本県八代市 妙見宮大祭ホームページ

相変わらず神社ってややこし要素を多分に抱えていますね。
それもまた魅力の一つかも。
もう少しスッキリ説明してあるとよいのですが・・・

話を戻します。

八代神社2 八代神社3

左上の写真は、本殿の3方にいた仁王さん(?)です。
何かを支えているようですが、少しずつ異なるポーズをとっていました。
右上の写真は、拝殿の入口の屋根部分にある龍の彫刻です。(すごい!)

また、ここには狛犬が数組奉納(設置)されています。
その中でも本殿のすぐそばにある狛犬は少し変わった形をしていました。

八代神社19 八代神社20

柵があって、近くには行けませんでしたが、最初は猿かと思いました。
なんとなく“のぺっと”していますよね。タテガミが無いせいでしょうか・・・・
台座には狛犬の文字が見えました。大きい字は達筆過ぎて読めません。
きちんと阿吽のポーズをとっていました。

八代神社4

自分でお祓いする道具です。
大麻です。「おおぬさ」と呼ばれるお祓いの道具です。「たいま」ではありませんので・・・。
使う勇気がありませんでした。
今度、家族で行ったときに使いたいと思います。
(「たいま」ではありません。「おおぬさ」です)

ここの境内の敷地は広く、いろんなものがあります。

八代神社17 八代神社18

隣りにある「大宮社」です。
狛犬ではありませんが、これまた何の動物か分かりづらいです。
馬か・・・牛か・・・それとも漠か・・・?
雄だということは、ハッキリと分かりました。

八代神社5 八代神社6

さて、こちはの木(左上)は、“かりんの木”です。
柵には“頭上注意”のプレートが。
とても立派なかりんが11月~12月頃に実るそうですが、それが落下してきて危ないそうです。

かりん爆弾に注意しましょう!当たったら痛いです(>_<)

と書いてありました。(爆弾って・・・)
先ほど、妙見宮は八代神社に名称が変更になったと書きましたが、「妙見宮」は今でも普通に使われていますね。

八代神社12 八代神社13

正面入り口にある「妙見宮の樟」です。
八代市指定天然記念物で、樹齢600年以上といわれる古木です。
根元はだいぶ痛んでました。
周囲の石垣に文字が刻んでありますが、
「その始めを知らず、又終わりを知らず。万歳のもと枝葉茂盛す。ああ霊なるかな。」
という意味で、安政5年(1858年)6月に、八代町や大阪等の信徒によって寄進されたものです。
よく分かりませんが、それだけ永い時代を生きている大樟だということなんでしょうか。
当時はもっと元気が良かったと思うので、その生き生きとした姿を拠り所としていたのかもしれません。

八代神社7 八代神社8

今回嬉しかったのは、「八代妙見祭」で使われる亀蛇や獅子舞などが展示してあり、見ることができたということ。
(以前はなかったと思います)
八代妙見祭の始まりはかなり古い時代でよく分かっていないそうですが、現在の行列の形態になったのは、細川忠興公が寛永12年(1635年)に神輿や祭礼の諸道具を寄進してから。亀蛇や笠鉾などが登場するのは、今から約300年前です。
(詳しくは先ほどの妙見祭のホームページをご覧ください)
社殿の造りと同じように、色彩豊かで立派なものばかりです。
そういえば、ニュースで亀蛇の子どもが登場したという話題もありましたね。

ちなみに細川忠興は、江戸時代には小倉城主であり、息子の細川忠利は肥後細川藩の初代藩主です。
寛永9年(1632年)に細川忠利が熊本城に入ると同時に、細川忠興は八代城主となります。
なぜ息子の方が地位が高いのかというと、このときにはすでに家督を譲り、隠居・出家して三斎となっていたからです。
正室は有名な細川ガラシャです。
(いろいろ話はあるのですが、とっても長くなるのでまたの機会に・・・)

八代神社9 八代神社11

また、ここは西南戦争のゆかりの地でもあります。
だいぶ汚くなった説明板がありました。
先のほどの「妙見宮の樟」には当時の激戦を思わせる銃弾が撃ち込まれているそうです。
見ても分かりませんでしたが、境内にある別な樟に穴を発見!(右上)
ひょっとして・・・と思いましたが、当時の跡がこんなハッキリ残っているわけはなく、おそらく虫食いの穴でしょう。

他にも境内にあるものをいくつか紹介します。

八代神社14 八代神社10

だいぶ錆ついている遊具です。(左上)
安全性は問題ないのでしょうか・・・ちょっと心配。

裏手には大きな樟が何本かあります。
先ほどの虫食い穴を発見した巨木です。(右上)

ゲートボール場もありました。

八代神社15 八代神社21

そのゲートボール場の横に置かれている石の柱など。
おそらく、昔の鳥居の残骸でしょう。
保存されているのかもしれませんが、ちょっとかわいそうな状態ですね。
だからといって、何の使い道もないと思いますが・・・。

今回紹介しませんでしたが、他にも神社や石像などがいろいろとあります。
八代神社(妙見宮)へ行ったら、ぐるっと境内を散策されることをおススメします。
神社の方にいろいろと話を聞けるとさらに面白い発見があると思います。

また、周辺には他にも見どころがいっぱいなんです。
その一部にも立ち寄ったので、またご紹介します。

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コメント
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こんばんは。
熊本市より南はめっきり訪れた回数が少ないです。
八代は花火大会には2回行きましたが、それだけで散策はしてません。
北斗七星を祀ってあるのには驚きました^^
とても内容がいつも濃いですね、感心します。
by: ゆったり人 * 2010/02/12 00:28 * URL [ 編集] | page top↑
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