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石橋は、このくらいのバランスがいいんです【金内橋】(山都町)
2011 / 04 / 29 ( Fri )
GWがスタートしました。
いろんな過ごし方、楽しみ方があるとは思いますが、日本を元気にするために、ぜひともあちこちへと出かけて欲しいと思います。
自分が楽しむことで、直接ではないにしても役立つはずですから。

とは言いながら、お金がかからないスポットの紹介です。

石橋にもいろいろあります。
「通潤橋」「霊台橋」「雄亀滝橋」をはじめ、有名無名それぞれです。

今回立ち寄ったのは、御船町から山都町(矢部)へと抜ける国道445号沿いにある石橋です。
(ちょっと入ったところ)
「金内橋」(かなうちばし)と言います。

金内橋1

ぱっと見た感じは、コンクリートの橋に見えます。
表面がコンクリートに覆われているからです。

金内橋2

よく見ると石橋だと分かります。
そこにある説明を読むと、

嘉永三年(一八五〇)、福良井手の取入口に建設された眼鏡橋。工事は惣庄屋布田保之助の指揮のもと実施され、石工棟梁は小野尻村の卯市である。卯市は、八代郡種山手永出身で、通潤橋建設時も棟梁を勤めている。

と書いてあります。
卯市は宇市(宇一)とも書かれることがあり、有名な橋本勘五郎(丈八)の兄になります。
とにかく、すごい石工が手掛けた石橋なんです。

金内橋3

昭和8年7月に修繕されたときに、このコンクリートができたようです。

金内橋4

これは川上(御船川)からの写真です。
右手に見える郵便局がとても立派に見えます。
(実際立派です)

ここで、夏に川遊びなんかすると気持ちいいでしょうねえ。

金内橋5

橋の上から、川下を見ると、右手に水路が見えます。
これが説明にもあった福良井手。
この先の田畑を潤しています。
そして、水路橋「立野橋」もあります。(後ほど・・・)

近くに、菅原神社があったので寄ってみました。
寄らないわけにはいきません。

金内橋6

鳥居はとても新しいです。
しめ縄は、ちょっと「だら~ん」としていますが、このゆるさも周辺とマッチしています。

金内橋7

↑結構あちこちにあるもんですね。
大切にしなければなりません。

金内橋8

これは土俵でしょうか。
とても小さいので、子ども用だと思います。
すぐに勝負がつきそう・・・。

金内橋9 金内橋10

春の花がきれいでした。
どこにでもあるんですが、こうやって眺めることはそうありません。
癒されます。

金内橋11

トタン屋根のシンプルな神社です。
ちょっと中をのぞいてみました。

DSC_0040_20110427232457.jpg

天井には描かれているのは、干支と花。
花には番号が書いてありますが、おそらく、月だと思います。
その月の花ということでしょう。(8ならばヒマワリ)

いつもの癖で、ちょっと裏のほうにも回ってみました。

金内橋12

石灯籠があります。
明治時代に寄進されたもの。

金内橋13

石工の名前も刻まれています。
なぜか、天草の石工で・・・ちょっと漢字が分かりませんでした。
でも、どうしてわざわざ天草の石工なのか疑問。

ただ、金内橋の棟梁だった「卯(宇)市」の兄の「卯助」の子孫は天草に住んだとか。
(ネットの情報)
天草にも石工はいたでしょうから、不思議はないんですが、ここまでの距離を考えると、やはり不思議な感じがします。

金内橋14

さらに古そうな石塔を見つけました。
梵字が刻まれています。

メインの石橋よりも神社のほうが長くなってしまいました。

いろいろ楽しめましたが、周辺の民家等も含め、とてもいいところです。
軒先に高菜が干してあったりもしました。
金内橋は今でも車や人の往来が結構あり、生活道としても欠かせない存在のようです。
(修繕されてますし・・・)

周辺ののどかさと、それほど際立った存在でない石橋とのバランスがほどよい感じでした。
石橋というよりも石橋のある金内地区を見に来たという印象を受けました。
私は、“すごい”石橋もいいんですが、このくらいのほうが好きですね。
落ち着きますし・・(疲れているからかも?)

石橋を見に行ったら、ぜひ周辺の散策もお楽しみください。

(次回の「立野橋」に続く)
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画像ナシでお届けするグルメルポ <四川料理編2>
2011 / 04 / 25 ( Mon )
今こそ、日本はがんばらないといけません。
ということは、私ががんばらないといけません。
あなたも、一人ひとりがそうなんです。

元気にがんばるためにはパワーの源が必要。
私の場合、その一つが“おいしいもの”。
パワーを付けてがんばります!

では、どうぞ。


熊本で、いや日本を代表する四川料理店と言えば「T花源」です。
3年半ぶりに行きました。(旧ブログ参照

行くきっかけは、嫁さんが食事券を貰ったこと。
家族3人が十分満足できる金額だったので、急きょ予約して行きました。
(席だけですね)

仕事から帰ってきて、着替えて行こうとしましたが、嫁さんからは「着替えなくていいよ」との声。
どうやら着替える服はカジュアル(汚い?)すぎて「T花源」には合わないと思ったらしく、スーツ姿のままのほうがまだマシな格好と考えたようです。
まあ、どちらでもいいんですが。

5歳の娘は出かけることに喜んでいましたが「中国料理」はよく分からないようで、食事に行くなら“回転ずし”に行きたいとしきりに言ってました。
まあ、分かりやすく「ラーメン」や「餃子」のある店と説明したのが悪かったのかも。
(ちょっと「T花源」には失礼でしたね)

このお店は熊本城近くの「ホテルKスル」の地下一階にあります。
昔は、ホテルにあるレストランなどは宿泊する人が食べるところと思ってたので、食事だけにホテルに行くことに違和感を感じてました。(ただの田舎もんですね)
正直、今でもちょっと緊張します。

階段を下りてすぐに「T花源」はあります。
入口はそんなに大きくなく、中もこじんまりとした感じ。
壁にはここの社長が「料理の鉄人」に出演したときでしょうか、記念写真が飾ってありました。
たしか兄弟子にあたるんですよね。

店内を見回すと、ほぼ満席。
子ども連れが結構多く安心しました。おじいちゃん、おばあちゃんも一緒で、3世代で食べに来ているグループが多かったようです。
あと、スーツのままで良かったと思いました。

予約してたことを伝え、テーブルに案内されると、一旦外に出て喫煙ルームで一服。緊張が少しほぐれました。

テーブルに戻り、メニューを見て、コース料理を2人分頼むことに。
安いものは3000円台からあります。
じっくりと料理内容を比べました。
料理自体はあまり変わらないんですが素材によって金額が変わるようです。
「エビ」または「ホタテ」、「牛肉」または「豚肉」といった感じです。
結局5250円のコースにしました。
あと、前回(3年ほど前)行ったときに衝撃を受けた「棒棒鶏(バンバンジー)」の小(1260円)と娘用に白ごはん(200円)を注文。
「お飲み物はどうしましょうか?」と聞かれましたが、「結構です」と返事しました。
(条件反射的に・・・)

注文後、やっぱりビールが飲みたくなり、嫁さんの顔を見ながら、「ビール飲もうかなぁ」と独り言のように言いました。3回目で、ようやく「飲んでどうぞ」と許可が出たので、「生ビール」を注文しました。
車の運転も頼むことになるので、一存ではなかなか決めれないんですよね。

まず生ビールが到着。
ジョッキではありません。上品にグラスに注がれています。
そして、白ごはんと付け合わせのザーサイ、それに棒棒鶏(バンバンジー)です。

まずはビールを一口。
そこそこにおいしいと感じました。
そして、例の棒棒鶏(バンバンジー)を一口。
濃厚なゴマだれとふわふわ食感の鶏肉、そしてコリコリしたクラゲ(のようなもの)が、当時に近い感動を与えてくれました。「やっぱりうまい」の一言です。
私はこの“ゴマだれ”がポイントだと思いましたが、嫁さんは“鶏肉”のやわらかさが違うという意見。クラゲやキュウリはともかく、決して家庭では味わうことができません。
娘も白ごはんのおかずにパクパク食べてました。

あっという間に棒棒鶏(バンバンジー)が無くなったので、ザーサイをつまみにビールを飲んでいると、ようやくコースの1品目の前菜が登場。
刺身や豆腐みたいなものが数品。どれもおいしいです。
そのままではなく、野菜に刺身が巻いてあったり、トロリとした豆腐に何か乗せてあったり、ひと工夫もふた工夫もしてあります。
ここでビールは空になり、いい感じになりました。
ここからは、料理を楽しみたいので2杯目は遠慮して、お茶に切り替えました。

そして、「エビのミルクソース炒め」(←憶えていないので、勝手に名前付けています)が来ました。ぷりぷりしたエビと正体不明の野菜などがミルクソースで和えてあります。
料理が来る時は、一皿に盛ってあるんですが、頼むと丁寧に取り分けでくれます。
この辺のサービスはさすがです。(それとも普通ですか?)
見た目もきれいなミルクソースは甘めで、濃厚。
それでもエビや野菜自体の風味や食感を楽しめる仕上がりとなっています。
ミルクソースが苦手な私でも、おいしくいただけました。

3品目は、「豚肉とにんにくの芽などのオイスターソース炒め」(←これも適当 ※以下同様)でした。
これは私好みの味。
おいしくてごはんがすすみま・・・あれ?

「“ごはん”は?」

ここで気がつきました。
ごはんが来ていません。
コース料理のせいか、ごはん(炒飯)は最後のほうに出るらしく、おいしい料理を“おかず”として食べるわけではないようです。
娘が白ごはんを食べていたせいもあり、気が付きませんでした。

さっそく店員さんを呼んで、「ご飯を先に出してもらえませんか?」とお願いしました。
快く了解してもらい、4品目に「炒飯」が登場。
(来るまでは“白ごはん”だと思ってました)
ようやく「ご飯とおかず」が揃い、夕食らしくなりました。

5品目は「ホタテのチリソース」です。
これぞ“四川料理”です。
私がエビをそれほど好きではないので、“ホタテ”を選びましたが、チリソースならば“エビ”なのかもしれません。
それなりの辛さです。生ビール1杯でほろ酔い加減の私は、その辛さがストレートには伝わらず、時間差で辛さがノドに来る感じ。
もちろん旨さも多少あります。

この辺りで、メインディッシュは何だろうという話になりました。
コース料理であればメインがあるはずです。
でも来る気配がありません。
もう来てるのかもしれません。
ないのかもしれません。
(メニューは下げられたので確認できません)

そんな話を嫁さんとしていると、6品目の「鶏のスープ」が出てきました。
ここで何故スープ?と思いました。
テーブルにはほとんど何も残っていません。
洋食ならスープは先ですよね。
などと考えているときに、「炒飯」の存在を思い出しました。
きっと、「ご飯とお吸い物」という組み合わせなのかもしれません。
そうでなければ、ここでの「スープ」はツライものがあります。

「炒飯」を前倒ししたときに「スープ」も一緒に持ってきてもらうべきでした。
でも、鶏が効いていて美味でした。

最後の7品目はデザートの「杏仁豆腐」です。
「杏仁」の本体である「杏」(あんず)は中国が原産。
その種の中にある「杏仁」は古くから漢方薬として利用されていました。
健康デザートです。
さっぱりしていておいしく、ひんやり気持ちいいデザートでした。

初めてのコース料理だったので、ちょっと右往左往した気もしますが、料理・サービス共にさすがです。
結局メインディッシュが何かは分かりませんでした。

そんな中でも「棒棒鶏(バンバンジー)」はさすがでした。
また、この前菜を食べに「T花源」に行きたいと思いました。
(おわり)
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新玉名駅周辺探訪の続き【吉利支丹墓碑など】(玉名市)
2011 / 04 / 13 ( Wed )
玉名市の「伊倉南北両八幡宮」に立ち寄った後、移動中に気になる看板を発見しました。

「吉利支丹墓碑」と書いてありました。
もう一つ「唐人舟つなぎの銀杏」という看板もありました。

どちらも気になったので、ちょっと寄ってみることに。
キリシタン墓碑を県北地域で見るのは珍しいのではと思ったのです。

吉利支丹墓碑1

結構きれいに整備されています。
車を停め、さっそく階段を上がってみると、まずは説明板があります。

吉利支丹墓碑2

玉名市のホームページで補足すると、
この墓碑は、慶長(16世紀)前後のものと推定され、伊倉町で布教につとめたバテレン(カトリックの宣教師)の墓です。
ちょっと前の1566年には玉名市の高瀬で、宣教師のアルメイダがキリスト教を布教したということなので、その後を継いで活動した宣教師なのでしょう。アルメイダは熊本でいうと、天草での布教活動が知られています。
長さ57センチ、底巾35.5センチの大きな蒲鉾形をしており、前面の凸出した縁どりの中央に花十字の十字架が刻まれています。明治初年まで土中に埋められていましたが、その位置方向、形状は当時のままでした。また、蒲鉾形式の吉利支丹墓は全国的に珍しく、歴史的に意義深く、学術資料として貴重なものだそうです。
(ほぼ市役所のホームページから引用)

で、現物がこちら。

吉利支丹墓碑3

蒲鉾形式の吉利支丹墓がどのくらい珍しいかは分かりませんが、長崎には国指定史跡となっているお墓もあります。(それだけに立派ですが)
貴重なだけに、厳重に囲いがしてあります。

吉利支丹墓碑4

つい、自然に手を合わせてしまいました。
とても美しい形をしています。安山岩だそうです。

吉利支丹墓碑5

これが花十字の十字架です。
丸に十字のカタチに見えますが、花十字(花弁を4枚組み合わせて十字をつくる)なんでしょう。
長い年月の経過を感じます。

たしかに交易が盛んな土地だったので、キリスト教も自然と入ってきたのかもしれません。玉名でもその後の弾圧の時代を経ているんだと思うと、感慨深いものがありますね。

唐人船つなぎの銀杏

最後にこれは「唐人舟つなぎの銀杏」です。
工事中のようで、近くには行きづらく、秋に再訪できればと思います。
樹齢800年の大銀杏。貿易船(唐船)がここにつながれていたということなんですが・・・。
昔はもう少し小さく、つなぎ易かったんでしょうね。


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久しぶりに「石コレ写真館(テスト)」に追加しました。
2011 / 04 / 11 ( Mon )
だいぶ「石コレ」も溜まってきたので、少しだけ追加しました。

①「石人」(荒尾市下井手八幡宮)
②「百官石」(宇土市西岡神社)
③「めぐすり石」(阿蘇市)

↑クリックすると、そのときの記事が別ウィンドウで開きます。

中でも「石人」は逸品中の逸品です。
会うのにも苦労しました。(単に調査不足)

まだまだ未掲載も多く、ちょっとずつ整理が必要だと思っています。
溜まるスピードが速いような・・・
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阿蘇産山村のキャラ「うぶちゃん」登場です。
2011 / 04 / 08 ( Fri )
久しぶりにゆるキャラの情報です。
熊本では、「くまモン」の一人勝ちの状況ですが、そんな中、阿蘇の産山村にキャラクターが誕生したというニュースを見ました。
こうなってくると、「うちも作らないと・・・」という雰囲気になるのかもしれません。

うぶちゃん

こちら、名前は「うぶちゃん」です。

産山村の村花「ヒゴタイ」をモチーフにつくられました。
一般公募での採用です。
「ヒゴタイ」は夏に紫色の花を咲かせ、産山村にはヒゴタイ公園という広い花公園もあります。
名前は「産山村」(うぶやまむら)から付けられました。

背景は「くじゅう連山」でしょうか。

かわいらしいキャラです。
一般の人にしては上手いと思ったのですが、実際に応募された原画を元に手直しされているようです。

kouhou-ubuyama.jpg
※「広報うぶやま」より

他にも面白い作品が応募されています。
着ぐるみも作られるようですが、活躍を期待したいと思います。
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熊本ゆるキャラ情報 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
両方を比較しながら見てみよう【伊倉南北両八幡宮】(玉名市)その弐
2011 / 04 / 06 ( Wed )
前回の「伊倉南八幡宮」にある石造りの仁王像に出会った後の続きです。

だらだらと長引かせたくないので、今回は両方の神社をいっぺんに紹介していきます。
(左側が南八幡宮、右側が北八幡宮です)

伊倉南八幡宮楼門 伊倉北八幡宮楼門

まずは、どちらとも立派な楼門をくぐります。
北八幡宮(右)のほうが、2層の屋根と高さがあり立派。
(でもしめ縄は南のほうが立派)

次に社殿です。

伊倉南八幡宮社殿 伊倉北八幡宮社殿

社殿は逆に南八幡宮(左)のほうが大きかったですね。

伊倉南八幡宮社殿1 伊倉南八幡宮社殿2

上写真は伊倉南八幡宮の社殿(本殿)に彫刻されている風神と雷神です。
迫力があったので撮影しました。
境内にある大樟の「雷神木」と何か関係があるのでしょうか。
(風神木はありませんでしたが・・・)

比較ではありませんが、下写真は北八幡宮の楼門の彫刻。

伊倉北八幡宮楼門1

楼門の正面に彫られています。
鬼のように見えますが、どうなんでしょうか。
(鬼ならば鬼門になるので、何かの神様なのかもしれません)
ただ、にこやかな表情をしているのが印象的です。

伊倉南八幡宮猿田彦 伊倉北八幡宮猿田彦

こちらは不思議な共通点。
よく見かける猿田彦の碑ですが、その前に「見ざる言わざる聞かざる」の像があります。
猿田彦は決して猿ではないと思うのですが・・・。
南八幡宮(左)のほうが新しいので、ひょっとして北八幡宮を意識してのことかも、などと想像してしまいます。

伊倉南八幡宮白馬 伊倉北八幡宮白馬

最後に、ペットも共通です。
いや・・・ペットなんてことはないと思うので、奉納されたのでしょうか。

伊倉南八幡宮白馬1

ちょっと分かりづらいですが、白馬(神馬)です。
逃げないように、しっかりと格子がしてあります。
お祭りなどに使われるのかもしれません。

こうして比較してみると、共通点が多いことが分かります。
最初からそういう視点で行っていたならば、もっと細かく見ていたのに・・・と思いました。
神社の由緒は分かりませんでしたが、八幡宮なので神様も一緒なのでしょう。
ただ、南八幡宮が西向きで、北八幡宮が南向きというのが気になります。
南八幡宮は北八幡宮の南側にあるので、北八幡宮で参拝すると、お尻を向けることになるのです。
たいした理由はないのかもしれませんが。

とにかく、今回の神社は珍しい体験ができました。


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久しぶりに石像の仁王像に出会いました【伊倉南北両八幡宮】(玉名市)その壱
2011 / 04 / 05 ( Tue )
九州新幹線の開業を記念し、新玉名駅周辺の魅力を探していますが、今回はちょっと離れたところにある「伊倉(いくら)南北両八幡宮」に立ち寄りました。

この神社は、「伊倉北八幡宮」「伊倉南八幡宮」の2社が道を挟んで並んで建っているんです。
玉名市のホームページによると、
路を挟んで南北に神社が仲良く並んでいる風景が珍しい。玉名郡司日置(へき)氏の荘園を宇佐八幡宮が買得し直接経営したことに始まり、中世に行われた下地中分線を境に南方、北方に別れました。春と夏に行われる恒例の祭りの中に、節頭馬追いや練り嫁行列があります。
と説明されていました。
“仲良く並んでいる”という表現がちょっと気になりましたが、別サイトによると“仲が悪いらしい”なんてことも書いてあります。

そんなことはおいといて、まず「伊倉南八幡宮」に行きました。

伊倉南八幡宮1

駐車場に車を停め、まず目に飛び込んできたのが仁王像です。
久々で、しかも予期せぬ出会いだったのでちょっと嬉しくなりました。

伊倉南八幡宮2

なかなかの石像です。(向かって右の「阿」)

伊倉南八幡宮3

この石像の台座部分に碑文があります。(以下原文どおり)

奉献
天保六年伊倉南八幡宮隨兵家の内田新三郎寄進の当宮守護仏で肥後最大の石造仁王尊
神仏分離令で一時カジヤ町裏天神社に移したが内田家八代太郎氏夫妻祖先の意を体し昭和四十年八月八日氏子の請願と協力により旧の如く当社頭に鎮祭したもので開運の神様として信仰が厚い
宮司 東 弘典記


「天保六年」とあるので、今から170年ほど前(1835年)に造られた仁王像です。
確か坂本龍馬も天保6年生まれ・・・なんとなく時代が想像できます。
昔は神様も仏様もごっちゃになっていたので、「当宮守護仏」だったそうですが、今考えると不思議な感じがします。
「肥後最大」とあるのがすごいです。他と比べた(調査した)結果だと思うので、石造の仁王像が他にどこにあるのか教えて欲しいと思いました。
「カジヤ」は「鍛冶屋」のことだと思いますが、画数が多かったのでカタカナ表記になったのでしょう。
この仁王像はいろいろとあったそうですが、今では「開運の神様」として信仰されているようです。
(結局神様?)

伊倉南八幡宮4

こちらは「吽」のほう。(向かって左側)
左手が欠けているのが残念ですが、迫力は十分。

伊倉南八幡宮5

後に置いてあった“これ”、おそらく欠けた左手の一部だと思われます。
早く元に戻してほしいです。
(仁王像の声が聞こえてくるかのようでした)

伊倉南八幡宮6

伊倉南八幡宮7

境内には見事な大樟もあります。
樹齢400年以上で、精霊が宿っているとされています。
「雷神木」と称されているとありましたが、由来は不明。
(社殿に関係のありそうなものがありましたが・・・)

まだ境内に入っていないんですが、久々の仁王像だったこともあり、説明が長くなってしまいました。
社殿等の紹介は、次回に。
(結構時間もかかるんで、すいません)







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古代への扉はやっぱり開かない・・・【大坊古墳】(玉名市)
2011 / 04 / 04 ( Mon )
震災の影響の深刻さ、当事者の方々の苦労に心を痛める(特に報道を見ていると)と同時に、どうしても未来への不安が生じてしまいます。
ですが、わずかな力しかない自分に今何ができるか。
そんな自分ががんばれば、何か少しでも役に立つのではないかと、不安をかき消すように奮い立たせて日々を過ごしています。
まずは一人ひとりが元気であることかなあと思いますね。

昨日ニュースで、昔熊本でも津波で大きな被害を受けたことがあるというのを知りました。
島原雲仙の噴火を山崩れによって起きた津波が、対岸の熊本にも大きな被害をもたらしたそうです。
1792年のことで、約1万5千人の死者がでたそうです。
このできごとを「島原大変 肥後迷惑」といいます。
200年以上も前のことなのでいいんですが、今こんな名称を付けたら問題になるでしょうね。

参考サイト:ウィキペディア「島原大変肥後迷惑」


熊本の魅力を探すことも直接は関係ありませんが、自分が元気になるための栄養源として、ご理解いただければと思います。
(ちょっと屁理屈っぽいですか・・・)

さて、(結構前ですが)前回の続きです。

玉名市の国指定史跡「永安寺東西古墳」の近くに、もう一つ国指定の古墳があります。
「大坊古墳」です。

看板を見つけたので車でウロウロしましたが駐車場はなく、近くの公民館に停めました。
そこから歩いていくと、神社の脇の細い道を登っていくことになります。

大坊古墳1

シンプルな天満宮です。

大坊古墳2

梅の花がきれいでした。(3月頭)

大坊古墳3

細い道を登っていくと、すぐに古墳に着きます。
でも、見た目は古墳っぽくなはく、コンクリートに覆われた何かの施設のようです。
「永安寺西古墳」のほうが、まだ古墳らしくていいですね。

階段が設置されています。

大坊古墳4

階段を上がると、想像通り扉がありました。
ここの扉も固く閉ざされています。

ただ、こちらは写真付きで説明板がありました。

大坊古墳5

6世紀前半から中頃につくられた装飾古墳で、保存状態もかなりよく、装飾品もいろいろと発見されたようです。
「玉名市立博物館こころピア」に一部展示されています。

大坊古墳6

年に1回見学会のようなものが行われているそうですが、「見学を希望される方は、下記までご連絡ください」とありました。
個人の見学でも(扉を開けて)対応していただけるのでしょうか。
携帯から電話してみようかと思いましたが、待つ時間がなかったので今回はやめました。

でも、物足りなさがあった(連続で扉に阻まれたせい)ので裏手に回ってみました。

大坊古墳7

ちょうど裏あたりですが、道のようなものがあります。

大坊古墳8

ちょうど新玉名駅を見ることができます。
不思議な感覚。
結構いい眺めだと思っていましたが、途中から墓(古墳)の上ということに気づき、そそくさとその場を後にしました。

「大坊古墳」の参考サイト↓詳しい説明と古墳内部の写真を見ることができます。
熊本県オフィシャルサイト「地域発 ふるさとの自然と文化」

なぜこの模様を描いたのか、昔の人が赤鬼・青鬼が住み着いていると信じ恐れていたという話も面白いですね。


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