黄金が埋蔵されている?【疋野神社】(玉名市)その壱
2010 / 11 / 25 ( Thu )
ちょっと充電していました。
ようやく再開できそうです。

ここは神社ブログではありませんが、今回はある神社を紹介します。
(くどいですか?)

熊本県北部にある玉名市は、九州新幹線全線開業に伴い、駅(新玉名駅)ができるということで、にわかに活気づいている(←イメージ)地域です。
中心部近くにある「玉名温泉」の中に、「疋野神社」(ひきのじんじゃ)という大きな神社があります。

私は初めていきました。

疋野神社1

とっても大きな鳥居です。
七五三のシーズンは、神社も稼ぎ時のようです。
(あちこちに横断幕やのぼり旗が・・・)

疋野神社2

社殿へは、そこそこの距離の参道を進んで到着します。
(実際には車で境内へと入りました)
立派な社殿です。

すると、これまでの神社になかったことが・・・

ちょっと離れたところにある社務所のお守り等を販売している売店(←と表現していいんでしょうか?)から、「こんにちは」という挨拶が私に投げかけられました。
(結構離れているんですが・・・)
こちらも慌てて会釈。
驚きましたが、気持ちいいもんですね。

さて、いつものごとく境内を物色(?)。

疋野神社3

ミニ鳥居も立派です。

疋野神社4

神牛と書いてあります。(おさいせん箱付き)
牛は、五穀豊穣の使いとして古来より大切にされ、ここでは生活を助け、幸福をもたらすものとして奉納されたと説明してありました。
さらに、この神牛を撫でた手で、手・足・腰をさすれば、健康・長寿に効ありと云われているそうです。
最近腰の具合がちょっと思わしくないので、さっそく試してみました。
(そのうち効果が表れることでしょう)

このように、丁寧な説明があちこちにありました。

疋野神社5

ちなみにこれは狛犬の説明です。
初心者にもやさしい神社ですね。

疋野神社5

力石もどことなく品があります。

この神社から伝わる品格のようなものは何なのか、神社の説明板を読んで納得しました。

疋野神社6

後日ホームページで得た情報を加えて説明すると、

疋野神社の創立は景行天皇(12代、71年~130年在位といわれている)の時代より古いと伝えられ、2000年の歴史を持つそうです。
(具体的な年は定かではないようです)
主神は「波比岐神」(はひきのかみ)です。疋野神社は、有名な神社から勧請されたのではなく、大昔より玉名の地に鎮座の神様を祀っています。
また、平安時代の国の法律書「延喜式」(延長5年、927年)制定の神名帳(神社リスト)にも記載されている式内社で、阿蘇神社、国造神社とこの疋野神社の3社のみです。
とにかく格が高い神社ということのようです。

もう少し境内をウロウロしてみました。

疋野神社7

藤棚?なにかの舞台?「長者伝説のお宮『長者の泉』湧出中」と書かれた看板が置いてあります。
(詳しくは次回)

疋野神社6

別の鳥居です。「匹野宮」と書いてあります。「疋」ではなく「匹」です。
どんな意味があるんでしょうか。

疋野神社7

疋野神社の神紋でしょうか。
“ひまわり”のように見えますが・・・?

疋野神社8

脇に何かを焼いた跡がありました。
説明板がありました。
「たたら製鉄」を行った跡です。
主神の「波比岐神」は製鉄の神様とも書いてありました。
ここで造られた鉄を、「蓮華院誕生寺」で復元中の「南大門」の一部に使用されるそうです。神社とお寺という信仰の違いを越えた繋がりがあります。
すごいです。

疋野神社9

すぐ隣りにブランコが・・・。
「たたら製鉄」で造られた・・・わけはありませんよね。

こんな風にウロウロしていたら、再び「こんにちは」と声を掛けられました。
さきほどとは違う人です。しかも近距離。
宮司さんか、禰宜さんかは分かりませんが、ちょっと緊張しました。
(どこかに後ろめたさがあるのかも?)

「こういうところに来ると、心が落ち着くんですよね~」

思わず言ってしまいました。(本音です)

「そう言っていただくと、神様もお喜びになられますよ」

と神社の人に言っていただきました。
なんだか救われた気分になりました。

「あちらの鳥居の“匹”の字が違うんですが何でなんですか?」

せっかくなので聞いてみました。

「古い時代には“疋”の字がそう書かれていたようです。時代によって、違うようですし、そうする理由が当時あったのかもしれません」
(たしかこんな風な答えでした・・・)

その他にもいろいろと話を聞くことができました。
すばらしい神社です。
神社そのものの歴史や格だけでなく、人も含め、他にはなかなかない神社という印象でしたね。

最後に「疋野長者」の伝説に触れるのですが、長くなるので次回に紹介します。
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こんな“ゆるキャラ”もあるんです。
2010 / 11 / 16 ( Tue )
いろんな“ゆるキャラ”が熊本でも次々に湧いてきています(←ほんとに、そんな印象)が、なかなか広まらないキャラも結構いるようです。
いわゆる“ゆるキャラ”は、民間企業等の営利目的(それに準ずる)のためのキャラクターではなく、官公庁やそれに関連し、主に広報活動等で使用されるキャラクターです。
(私はそう思ってます)

着ぐるみの有無はどうでもいいと思ってます。
どこも財政難ですから・・・

最近は「くまモン」が話題ですが、熊本城本丸御殿が復元されたときには「きよまさくん」が注目を集めました。
実は、その2つを足して2で割ったような“ゆるキャラ”がいるのを御存じでしょうか。

ずばり「きよくま」です。

きよくま"

このキャラが誕生した時期はちょっと分かりませんが、熊本市の政令指定都市を推進する活動を行っている協議会のキャラなので、推測としては「きよまさくん」の後、「くまモン」の前でしょう。

参考:熊本市政令指定都市推進協議会ホームページ

新幹線(つばめ)を馬代わりにして跨っています。(相棒という設定)
ほんと「きよまさくん」を間違えられそうです。
逆に、影武者として使えるかも・・・(実際、気ぐるみは似ています)

もう1体(←キャラの数え方は「体」?)ご紹介。

国の機関で熊本地方法務局というところがあります。
一般の人はあまり行かないと思うのですが、ここでは会社の謄本や印鑑証明、不動産登記などの書類を届けたり、発行してもらったりするところです。

ここにもキャラがいます。
「ほーみん」です。
全国共通ではなく、あくまでも“熊本”のキャラのようです。

moumin.jpg

この生き物の原型は不明(クマ?ネズミ?)ですが、頭に乗せているのはおそらく「山鹿灯籠」。
ちょっと踊っている風にも見えます。

「ほーみん」→法民?
額に「ほ」の文字。
これを描いた人は、「キン肉マン」世代か・・・

とても個性的です。

参考:熊本地方法務局ホームページ

以上、埋もれているキャラ2体でした。
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石工仁平つながりで・・・【門前川眼鏡橋】(上益城郡御船町)
2010 / 11 / 15 ( Mon )
山鹿市菊鹿町で、熊本最古の石橋を架けた石工「仁平」のお墓に行きましたが、その流れを汲む石橋が、上益城郡御船町にあります。
「門前川眼鏡橋」です。
この地域(緑川流域)は、石橋の宝庫です。
(「通潤橋」「霊台橋」「八勢目鑑橋」などがあります)

門前川眼鏡橋1

この「門前川眼鏡橋」は、御船町の木倉小学校前を流れる小さな川に架かっていますが、その姿は見事。

門前川眼鏡橋3

輪石が長い短いうまく横並びになっています。
とても安定感がありそうです。

でも、うまく組み合わせるのが大変そうですね。

門前川眼鏡橋2"

もう一つの特徴が、輪石と輪石を“楔石”で繋いでいるところ。
強度が増すのでしょうか。
ちょっと弱々しくも感じます。
(それとも飾り?)

さらに、輪石が2重になっているのが分かります。

門前川眼鏡橋4

肝心な要石近くの楔石は取れて無くなってます・・・。
その右側は、石の質が違うようです。後からはめた?

門前川眼鏡橋5

こちらは、明らかに違う石をはめ込んであります。(真ん中)
役に立っているのかどうか・・・。
たしかに、石が取れてぽっかりと穴が空いていると、何かで埋めたくなります。
私も周囲を見まわし、適当な石がないか探してしまいました。
(まあ、実際にはしませんけどね)

門前川眼鏡橋6

説明板を読むと、「門前川眼鏡橋」は、江戸時代に日向往還の要路として文化5年(1808年)に架けられ、理平の弟子・理左衛門が石工だそうです。
(そう書いてあります)

理平?仁平の間違いでは・・・と思ったのですが、仁平一門の流れを汲んでいることは間違いありません。
ちなみに、植木町(もう熊本市ですね)にある「豊岡眼鏡橋」も理左衛門が石工のひとり。
秀作が多いです。

ちなみに、「日向往還」は、熊本と日向(宮崎)とを結ぶ旧街道のこと。
殿様が通る参勤交代道とは違いますが、人馬の往来が多かった主要道の一つだったそうです。

今回は時間の都合で、この石橋しか立ち寄ることができませんでしたが、周辺には他にも石橋がいっぱいあります。
ほんとうは「八勢目鑑橋」まで行きたかったのですが、またの機会に。
(だいぶ迷いましたが、仕事をほったらかしにするわけにはいきませんので・・・)
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熊本最古の石橋へ再び~石工のお墓も【日渡洞口橋、石工仁平の墓など】(山鹿市菊鹿町)
2010 / 11 / 03 ( Wed )
縁あって、熊本最古の石橋と言われている山鹿市菊鹿町にある「日渡洞口橋」を再び訪れました。

日渡洞口橋

洪水で流されてしまったので、すぐ近くに移設されています。
なので、モニュメント化しています。

この石橋は、石工・仁平の作(安永3年/1774年)です。
構造はリブアーチ式で、輪石と輪石を楔石で結びつけるという凝った造りになってます。
阿蘇黒川に本格的な眼鏡橋を造るにあたって、試験的に造られてたと言われています。
(その黒川の眼鏡橋もすでにありません・・・)

日渡洞口橋2

前回気づきませんでしたが、代わりに架けられた橋に、石橋の一部が残されています。
こういう心遣いってとてもうれしいですよね。

今回の目的は「石工仁平の墓」です。
近くにあるという情報を聞きつけての再訪です。

有名な石工のお墓なので、その墓石もすばらしいのでは・・・と思ったのです。

この石橋の向かいに住んでいる人に、「仁平の墓」の場所を聞きました。
とても丁寧に教えていただきました。
(ちょっと迷いましたが・・・)

場所は山鹿市菊鹿総合支所(旧役場)の裏手辺りです。
何度も訪れたことがあるのに、今まで気づきませんでした。

石工仁平の墓1

行くと、ズラリとお墓が並んでいます。
この辺を造成したときに、この場所に共同墓地として移設されたようです。
結構古いものが多かったですね。

その中の一つが「石工仁平の墓」です。(1790年没)

石工仁平の墓2

ほかの人よりもちょっと大きい墓石でした。
意外と普通だったので残念でしたが、本人が造ったわけではないので、当然なのかもしれません。
石工としては、八代のほうの「橋本勘五郎」や「岩永三五郎」などが有名ですが、この人ももっと有名になっていいような気がします。

ちなみに、仁平は石橋以外にもいろいろと造っています。

松尾神社の仁王像

「松尾神社の仁王像」(石像)もそのうちの一つ。
ただ、この仁王像を見る限り、石橋を架けるのは得意だったかもしれませんが、石像彫刻は苦手だったのかなあ・・・とも思えてしまいます。
(趣はありますが、芸術的にはちょっと・・・)

でもこの石像、「熊本最古の石橋を架けた石工が手掛けた仁王像」と聞くと、なんとなくすばらしいもののよに見えてきませんか?
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