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県外なので、ほんのちょっとだけ【吉野ヶ里遺跡】(佐賀県吉野ヶ里町)
2010 / 07 / 30 ( Fri )
基本的に熊本の魅力を個人的視点で書いているので、県外の情報はできるだけ出さないようにしているのですが・・・今回はちょっとだけ紹介させていただきます。

タイトルにもあるように佐賀県吉野ヶ里町にある「吉野ヶ里遺跡」です。
詳しい内容は公式ホームページでどうぞ。
(ゆるキャラもいます)

さて、この遺跡の内容についてはホームページで見ていただくとして、紹介するのは下の写真。

吉野ヶ里遺跡1

復元された(たしか・・・)約1800年前(弥生時代)の集落の入口に建てられていたとされる門のようなもの。
簡単な鳥居のようなものの上に鳥が乗っています。
私はまず、これって鳥居の原型では???と考えてしまいました。

鳥居の起源には諸説あるようで、よくわかっていません。

ガイドの方に、「これって、神社の鳥居に似てますね」とさりげなく聞いたら、「確かにそうですねえ」という程度の返事で、あんまり興味はなさげでした。
(同じような質問は、過去に何回もあったと思うんですが・・・)

暑くて、思考能力が低下していたのかもしれません。

吉野ヶ里遺跡2

貧相な顔立ちですが、ちゃんとした“大王”様です。
大王様も暑くてつらそうでした。
(それにしてもリアル・・・)
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祭神って、こんな具合に変わるんですね【赤水神社】(阿蘇市)
2010 / 07 / 29 ( Thu )
阿蘇の国道57号沿い。
熊本市方面から言うと、赤水駅を過ぎてちょっとのところ(右側)に、神社が見えていたので、ネタの一つでもないか、ちょっと立ち寄りました。

入口に「乙姫神社」という看板が立っていましたが、後から「赤水神社」ということを知りました。
(乙姫神社はいずこ・・・)

赤水神社1

なんてことない小さな神社ですが、これまで見たことのない張り紙がありました。

赤水神社2

カビが生えていて、ちょっと汚れていますが、“承認書”と書いてあります。
神社の規則を変更するにあたっての承認書のようです。

赤水神社3

もう一枚ありました。
読んでみると、祭神の変更に関する承認書のようです。
神社本庁が許可しています。→ホームページ http://www.jinjahoncho.or.jp/
“統理”という文字もありますが、とても偉い人(?)のようです。

そもそも祭神の変更が、最近(平成11年と書いてありました)になって行われていることが、どことなく不思議に感じました。
そこの神社の神様が変わるってことですよね。
理由が知りたいところです。

赤水神社4

具体的に言うと、「天彦神」から「國龍神と比御子神」に変わられています。
「天彦神」ってどんな神様か分かりませんでした。(ネット上で)
「國龍神」(くにたつのかみ)は阿蘇開拓の神「健磐龍命」(たけいわたつのみこと)の妃である「阿蘇都比命」(あそつひめのみこと)の父親で、「比御子神」(ひめみこのかみ)は妃ということです。
(ややこしいし、さらに混乱しそうな情報もたくさんあります)
「阿蘇神社」の勇壮な神事「火振り神事」の主役ですよね。(たしか・・・)

今はいない神様を祀っていたので変更したのでしょうか。
それとも、単なる文字の間違いとか・・・。

それにしても、小さな神社でも“きちんと組織化されている”ことに驚きました。
イメージとしては、地域の人たちが良い意味で“なんとなく”代々守り、信仰している風に思っていたからです。

赤水神社5

裏手のお堂に祀られていました。
どことなくユーモラスな表情をされています。
(これまた不動明王っぽい気がしますが・・・)

最後に・・・
決して神社めぐりをしているわけではありませんので、あしからず。
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いつのまにか・・・検定情報
2010 / 07 / 26 ( Mon )
それにしても暑い日が続きます。
頭もぼーっとしてしまうので、ついつい忘れてしまうこともしばしば。

「玉名人検定」終わってましたね。
一応、第2回の情報に更新しました。

「人吉球磨検定」ちゃんとあるんですね。
失礼なこと書いていてすいませんでした。
こちらも情報を更新しました。
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登山者を護る峠の社【宿ヶ峰尾不動明王】
2010 / 07 / 25 ( Sun )
ちょっとした理由があって、おいしい水を探しに山鹿市菊鹿町にある「矢谷渓谷」方面へと行きました。
ここは、これからとっても賑わう場所です。

この「矢谷渓谷」の近くに、あまり知られていないおいしい水が湧いている場所があると聞いて、県道9号線(日田バイパス)を山鹿市から日田市方面へと車を走らせました。
国道325号から「一本松公園」「あんずの丘」方面へと入り、約30分ほどで「矢谷渓谷」へと到着。途中には、「相良観音」(あいらかんのん)や彼岸花で有名な「番所の棚田」などもあります。
(今回はスルー)

“近く”としか聞いてなかったせいもあり、水が湧いている場所は見つかりません。
もっと詳しく聞いていればよかったです。

とにかく、どこかにあるばずだと考え、県道9号をさらに奥へと進みました。
山をどんどん登っていきます。(道はそれなりに走りやすい)

途中、いくつか水汲み場らしきものがありましたが、梅雨の時期でたまたま水が流れているのかもしれないし、何も看板等がないと、飲んでいいものかどうかも分かりません。
なので、ちゃんとした水汲み場に出会うまでとにかく進みました。

美しい自然に囲まれた道路がとにかく続きます。
「矢谷渓谷」から15分ほどでしょうか・・・

峠

なんと、大分県(日田市中津江)との県境に辿りついてしましました。

峠2

当然ながら、逆を見ると、熊本県の入口です。

看板

ほとんど役に立っていない、菊鹿町の観光案内版もありました。

でも、ここでついに発見!

水飲み場1

水飲み場がありました。
いきおいよく水が流れています。(梅雨のせいもあるでしょう・・・)

水飲み場2

岩盤を滝のように水が流れています。

水飲み場3

隣りには、飲みやすいように、パイプで引っ張ってありました。
これまで苦労したせいもあり、とっても美味。
冷たくて気持ちよかったです。

湧水というよりは、岩清水に近いのかもしれません。
(厳密な違いは説明できませんが・・・)

さて、帰ろうか・・・と思っていると、気になるものを見つけました。

宿ヶ峰尾不動明王1

「宿ヶ峰尾不動尊」と書かれた看板です。
(この峠は「宿ヶ峰尾峠」ということを後で知りました)
不動尊と言えば、熊本市富合町の「木原不動尊」をすぐにイメージしました。

当然、仏教関連の何かだろうと思い、入口を探すとすぐに見つかりました。

宿ヶ峰尾不動明王2

鳥居?
何か違う神社があるのかと思ったのですが、額にもしっかりと「宿ヶ峰尾不動明王」と書かれています。
ちょっと混乱しましたが、かつての神仏習合(しんぶつしゅうごう)の名残なのでしょう。
かえって気になります。

これは確かめなくてはなりません。

宿ヶ峰尾不動明王3

宿ヶ峰尾不動明王4

鳥居には、杖や登山道の表示がありました。
かなりいやな予感がします。
「三国山」は、熊本県、大分県、福岡県の3県の境にある994メートルの山です。文字通り3つの国に跨っているからその名が付いたのでしょう。近くの国見山(1018メートル)と合わせて、トレッキングスポットとして親しまれているようです。

スーツ姿で(クールビズとはいえ)登山はつらいものがあります。
でも、好奇心から、ちょっとだけ登ってみようと階段を上がりました。

宿ヶ峰尾不動明王5

すぐに、ちょっとしたお堂のようなものを発見。

宿ヶ峰尾不動明王6

宿ヶ峰尾不動明王7

不動明王と思いきや、“おじぞうさん”でした。
登山者の安全を守っていらっしゃるのでしょう。

さらに、ここから右手に登ります。

宿ヶ峰尾不動明王8

と、意外と早くそれらしきものが見えてきました。
何やら工事中でしたが、新しく道路を作っているように思いました。
そういう場所なんでしょうか・・・。

宿ヶ峰尾不動明王9

しつこいようですが、不動明王の“鳥居”です。
スチール製のようでした。

宿ヶ峰尾不動明王10

右側には簡易宿舎のような建物がありました。
炊事場もあったので、登山者がここに泊ったりするのでしょう。
何やら本格的で、申し訳ない気分になりました。
(スーツ姿ですいません・・・)

宿ヶ峰尾不動明王11

ちょっとコワモテの不動明王に参拝しました。
不思議と違和感もなくお参りできました。

不動明王の前には、大きなロウソクが、ちょっと小さめの土台に立てられています。
大丈夫かな、と思いましたが、しっかりと“防火祈願”が掲げられていたので安心しました。

これからも、多くの登山者の安全を守ってほしいですね。
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阿蘇の新しい遊び場【あそ☆ビバ】(阿蘇市)
2010 / 07 / 10 ( Sat )
阿蘇市の内牧温泉街に新しい遊び場が(ちょっと前に)誕生しました。
子どもたちが大好きな大型遊具施設の「あそ☆ビバ」です。
この名前を見て、「つのだ☆ひろ」氏を連想された方も多いでしょう。
ちなみにバス停の名前にも☆マークが入ってたところをみると、これが正式名称なんでしょうね。

“遊び場”とかけてあるのは一目瞭然ですが、どんな意味なんでしょうか。
“あそ”は“阿蘇”だということが分かります。
“ビバ”とはイタリア語“viva”からきていると思います。意味は“万歳”らしいです。
「阿蘇万歳!」ということなんでしょうか。
公募だったようですが、よく考えられた名前ですね。

あそ☆ビバ1

場所は、昔の役場跡(旧阿蘇町役場)です。
駐車場もきれいに整備されています。
その入口には、遮断機が設置されていました。
実際に閉じるかどうかは分かりません。

あそ☆ビバ2

公園内にも門がありました。
開園時間には管理人さんがいるようです。

あそ☆ビバ3

まず、公園の説明をしっかり読みます。
やはり、利用時間が限られているようで、休園日もありました。
遊びに行くときには要注意です。
(詳しくは画像をクリックして拡大してご覧ください)

あそ☆ビバ4

右下に見たことのあるキャラクターがありました。
「五岳くん」と「火の子ちゃん」です。
新しいキャラのはずなのにレトロ感が漂います。
新しい施設との違和感が湧いてきましたが、徐々に次第に慣れてきました。
(これ以上コメントできません・・・)

あそ☆ビバ5

さて、これが大型遊具です。
説明によると対象年齢が6~12才の児童用遊具と書いてありました。
ほぼ小学生以上です。
経験上、2~5才くらいの子どもが飛び付いて遊びたくなる遊具なのに、かなり酷な制限です。
(実際には守られていないだろうなあ・・・と想像できます)
まあ、危険を伴うことからの制限なんでしょうが、ある程度は“親の責任”で遊ばせていいのではと個人的に思います。

他の小さな遊具は、対象年齢が3~6才。
2才以下は遊具で遊べません・・・。
どう見ても保育園やその辺の公園に普通に置いてある遊具に見えます。

行政がつくる施設なので、事故などに対して慎重にならざるを得ないということなんでしょう。

あそ☆ビバ6

トイレも子ども連れを想定し、ゆったりとキレイです。

この施設のすばらしいところは、阿蘇の大自然に囲まれているということ。
空気もきれいに思いました。
内牧温泉周辺の観光スポットを紹介した看板が設置されているので、観光客などの来園も想定している公園だということが分かります。

子ども連れで阿蘇に来て、ちょっと立ち寄って、子どもたちの欲求不満を解消するにはとても便利な施設だと思いました。
だたし、なかなか帰れない(子どもが帰りたがらない)ことは覚悟しなければなりませんけどね。
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この時期になると言いたくなる【七夕神社】(山鹿市鹿央町)
2010 / 07 / 06 ( Tue )
毎年この時期になるとご紹介しているスポットがあります。
この時期とは、明日7月7日の“七夕”です。
そうです。山鹿市鹿央町にある「七夕神社」のことです。

先日、久しぶりにその神社に行ってきました。

七夕神社1

県道55号線沿いにある「七夕神社」は、鳥居を見ても普通の神社となんら変わりはありません。

七夕神社2

近くには、浅井川という小川に架かる「七夕橋」というのもあります。
残念ながら、なんら風情もありません。

近くのスペースに車を停め、久しぶりに「七夕神社」の鳥居をくぐります。
私も「七夕神社」の存在を知っていても、詳しいことは何も知らないので、今回はじっくりと観察しながら進みました。

まずは鳥居をチェック。
上の写真で分かるように、しめ縄は細くて頼りなさげです。
石柱に刻んである文字を見ました。

七夕神社3

向かって左側には、「大正六年七月七日建設・・・」とあります。
明らかに、神社の名前にちなんで建立日が設定してあります。
それにしても七夕って、いつ頃からの風習なんでしょうねえ。

七夕神社4

右側には、「一千年紀念」とあります。
つまり、大正6年、1917年に1000年経っているということになります。
1000年ちょうどかどうかは分かりませんが、創建は917年あたりということが想像できます。かなり歴史ある神社ですね。
現在からすると、約1100年前です。
さらに推測すると、大正6年に“千年”ということが分かったということは、どこかにきちんとした由緒が残されているということになります。
とすれば、なぜこんなところ(←失礼)に「七夕神社」という名前の神社が存在するのかも解明するでしょう。

最近、七夕神社の名前の由来は、「7月7日に神の光が差した場所に神社を建てた」というような話を聞きました。
伝説なのかどうかは分かりませんが、何らかの理由があることを知ったことだけでも前進です。

七夕神社5

鳥居の先に続く、風情ある石畳を歩きました。
結構滑りやすいので要注意です。

七夕神社6

千年の歴史と知ったせいか、狛犬も、その台座の彫刻も、どことなく繊細さを感じさせます。

七夕神社7

これは社殿ですが、拝殿といったところでしょうか。
奥の階段を登ったところに本殿があります。

七夕神社8

拝殿に奉納されている絵です。
織姫と彦星にしては、ちょっと雰囲気が違うような気がしますが、よく分かりません。
おじいさんのようにも見えますし・・・。
文字を見ると「安政五戊午○○・・・」(一部読めません)と書いてあります。
安政5年であれば、江戸時代です。
150年以上経っていることになりますが、きれいに残っていますね。
(一度修復されたのかもしれません)

七夕神社9

手前の手水場(鉢)です。
紋が“違い鷹羽”なので、阿蘇神社の系統でしょうか。

七夕神社10

例のごとく、猿田彦などの碑があります。
戦争関連の碑も。

七夕神社11

もう一つ手水場(鉢)がありました。
こちらの紋は“違い鷹羽”ではありません。
何なのかも分かりませんでした。
ちょっと不思議。
文字もすり減っているので読めませんが、こちらのほうが古い気がします。
長い歴史の中で、途中から阿蘇神社の傘下に入ったということも考えられます。
(まったくのテキトーな個人的意見なのでご了承ください)

七夕神社12

これが本殿です。
意外と小さいです。
どんな神様が祀られているのでしょうか・・・。

今回久しぶりに訪れて、ひょっとして、私の知らないところで話題を集め、何か変化が起こっているかも・・・と期待していたんですが、何も起きていませんでした。
むしろ、七夕らしいものはさらに減っていたような気がします。
以前は、縁結びの神様としてそれらしいものが奉納されていたと思うんですが。

ただ、七夕にちなんで、ささやかですが、こんな企画を行っているところもあります。

http://anzuapri.blog46.fc2.com/blog-entry-105.html
(あんずの丘(農産物直売所あぷりぃ)スタッフブログ)

というか、私が関係しているので、ちょっとやってみたかっただけなんですが・・・。
願いごとも叶うような気がすると思いませんか?

毎年言ってますが、そのうちに大ブレイクする神社だと思います。
神社の“ブレイク”って変な気もしますが、逸材には違いありませんから。
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とっても心地のいい神社 【蘇古鶴神社&鉄砲小路】(菊池郡菊陽町)
2010 / 07 / 01 ( Thu )
ワールドカップが日本、そして世界中で盛り上がってた最中も、その辺の場所で、なんてことないところに一人で盛り上がっている私です。

鉄砲小路
突然ですが、菊池郡菊陽町に「鉄砲小路」(てっぽうこじ)という通り(?)があります。
最近、たまに通るようになったのですが、そこに私の気を引く看板があります。

蘇古鶴神社1

「蘇古鶴神社の楼門」という看板です。
「蘇古鶴」(そこづる)という変わった名前にも惹かれるし、どんな「楼門」かも見てみたいと思い、車を停めました。

蘇古鶴神社2

これが「蘇古鶴神社」入り口です
参道脇には大きなお寺もあります。

蘇古鶴神社3

歩いていると、当然のことながら鳥居があります。
普通(?)のしめ縄を久しぶりに見た気がします。
それと、鳥居の石組がいいですね。かっちりとハマってなくて、ちょっと隙間があるところが時代を感じさせてくれますね。

蘇古鶴神社4

鳥居をくぐり、楼門を目指し歩いていると途中には「産さん(産神社)」があります。
「産神社」と言えば、阿蘇市にある神社を思い出します。
(その時の記事はこちら→「久しぶりの阿蘇で“石”スポットへ」
何か関係があるのでしょうか。

蘇古鶴神社5

そして、小じんまりとしていますが、由緒がありそうな楼門です。
嬉しいことに、丁寧な説明板もありました。

蘇古鶴神社楼門説明板

抜粋すると、

蘇古鶴神社は、寛永12年(1635年)9月に、熊本藩主の細川忠利公が、「鬼門」の厄を払い、鉄砲町の「守護神」として勧請されたものです。
楼門内には門神である「奇岩窓神」(きがんそうじん)と「豊岩窓神」(ほうがんそうじん)の2神を祀っています。


という内容です。
ここに鉄砲町と書いてありますが、これは最初に出た「鉄砲小路」の由来となったように、地鉄砲がここ一帯に住んでいたそうです。
「地鉄砲」とは、いざというときに鉄砲組として戦に赴く人たちの集まりで、普段は武術の鍛錬や農耕に従事していたということです。その目的は、非常時における軍備の強化、未墾地の開拓、浪人対策だったそうです。
そこに住む人たちはお互いに協力し合い、いざというときに備えてたそうですが、その名残が道路沿いに続く生垣に表れています。

この辺りの説明も、楼門の横に詳しい説明板がありました。
(これも、そこから抜粋)
このような丁寧な説明も、なんとなく昔からここに住む人々の気質というか、心のようなものを感じ、とても心地よく見学ができますね。

蘇古鶴神社6

これは楼門の“門神”ですが、どちらかは分かりません。
“門神”という表現は今回初めて聞きましたが、神社の“祭神”とは違うのでしょうね。
ちなみに“祭神”は、「健磐龍命」(たけいわたつのみこと)と「比大神」(ひめおおかみ)と書いてありました。
阿蘇神社の流れです。
(「比大神」とは、主神のお妃というニュアンスのようです)

蘇古鶴神社6

これが社殿です。

蘇古鶴神社7

境内には「天満宮」もありました。

蘇古鶴神社8

社殿の奥には、大きな砲弾がありました。
戦争の何かしらの祈念なのかもしれません。
爆発するなんてありえませんが、なんとなく怖かったので詳しくみませんでした・・・。

蘇古鶴神社9

また境内の脇のほうには、何かが祀られているような囲いがありました。
なんなのかまったく分かりません。
と、何かが乗っかってます。

蘇古鶴神社10

これは、おそらく“大黒様”ですね。
だれかが商売繁盛を祈念しているのでしょうか・・・。
それにしても無造作に置かれ、一歩間違えれば落ちてしまいかねません。
(猫がいたずらするかも)

丁寧な説明板のおかげで、スムーズに見学できました。
そんなに人が訪れることはない場所にもかかわらず、この神社(地元の人)の心使いがほんとよかったです。
「蘇古鶴」という変わった名前の由来が書いてあればベストでしたね。

ネットでいろいろ見ましたが、よくわかりませんでした。(残念)
昔の地名のようですが、“古い時代に、鶴が阿蘇にやってきた”というような意味なのかなあと想像します。
(どうなんでしょう)
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