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石のお導きか?石橋と古代寺院跡をめぐる3【市木橋】(宇城市)
2010 / 05 / 30 ( Sun )
前回の「浄水寺跡」で完結したかのような終わり方でしたが、この後、もう1ヶ所“石”に導かれて訪れた場所があるんです。
それは、個性的な石橋の一つである「市木橋」(いちきばし)です。

どこが個性的かというと、まずは下の写真を見てください。

市木橋1
(クリックして拡大していただくとよく分かります)

美しいアーチ式の石橋とは違い、石が平積みしてあります。
説明板によりますと、作者は不明ですが、江戸時代末期に架けられた石橋で、とても珍しい技法らしいです。
類例は、山口県にある平安橋くらいとも書いてありました。
(参考:萩市ホームページ
上のホームページの写真を見ただけでは、どこが“類似”しているのかよく分かりませんでした。
技術的な点ということなんでしょう。
(どうも腑に落ちませんが・・・)

素人的な目線で考えると、この「市木橋」を造った人(あえて石工とは呼びません)は、アーチ式の石橋を架ける技術を持ってなかったのではないかと思います。
なので、ちょっとずつ石をずらしながら重ね、最後にちょっと長い石を乗せてできあがり・・・という具合です。
ただし、「市木橋」には水路が通っているようです。

市木橋2

要するに“水路橋”ということです。
そのために、分厚く石が重ねられているのでしょう。

柵がしてあります。橋の上は通ったらいけないようです。

市木橋3

「市木橋」の説明板です。
説明板ではなぜか山口と表現してありました。平成20年に建てた看板なのに・・・。

そんなことはどうでもいいのですが、貴重な石橋を見ることができて、感激でした。
(逆行で写真はいまいちですが)

この近くには、他にも石橋が点在しています。
残りは次の機会です。

これで完結です。どうも。
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石のお導きか?石橋と古代寺院跡をめぐる2【浄水寺跡】(宇城市)
2010 / 05 / 29 ( Sat )
さて、前回の続き(本命)

「山崎橋」の脇の道を、小熊野川に沿って上流方面へ。
Uターンが面倒だったので、初めての道でしたが、「なんとかなるだろう」という軽い気持ちで車を進めました。

途中、グラウンドゴルフを楽しむお年寄りも見かけたので、そう迷うことはないと思いつつも、なかなか広い道に出ないため、若干の不安が心の底のほうから湧いてきました。
すると、一瞬でしたが、空気が変わった気がしました。

御手洗水源1

車のスピードを緩めると、左手に「御手洗水源」の看板が。
おっ!
当然のごとく車を停め、さっそく近づきました。
集落の中にあるので生活用水としても利用されていると思われます。

御手洗水源2

水は澄んでいて、白い砂利が敷いてありますが、緑色の水苔のようなものにだいぶ覆われていました。
小魚もいました。

飲むのはためらわれましたが、触ってみるとヒンヤリと気持ちよかったです。
空気が変わったのは、ここのせいかもしれません。

ここがどの辺りなのか周囲を見渡すと、

御手洗水源3

お地蔵さん、それとも水神様なのかもしれません。

標識

一瞬、ここが国道なのかと思ってしまいました。
国道5号がこんなところを通っているわけがありません。
でもこのカタチって、国道の標識ですよねえ。
(若干小さい気もしますが・・・)

浄水寺跡1

そして、なんと「浄水寺跡」の看板を発見。
その存在は知っていましたが、まさかこんなところで偶然出会えるとは思いもよりませんでした。

「浄水寺跡」は、奈良時代末期に建立された古代寺院の跡で、礎石や延暦9年(790年)の南大門の碑のほかに天長3年(826年)の寺領を記した碑、康平7年(1064年)の法華経の碑などが残っています。
熊本県指定
ちなみに日本史では、一般に大和朝廷の時代から奈良・平安時代までをさすそうです。

この前に見た「御手洗水源」が、「浄水寺」という名前の由来とされています。

浄水寺跡2

足早に階段を上がると、鳥居がありました。
その右手にある石碑が1000年以上前の碑です。
(何が書いてあるのか全く分かりません・・・)

「浄水寺跡」は、現在「下郷神社」の境内にあります。
久しぶりに普通(?)のしめ縄を見た気がしました。

まずは、“礎石”を探してみました。

浄水寺跡3

これが、1200年以上前に建てられた古代寺院の礎石です。
キノコのような形が見えます。
すばらしいですね。
そういえば、山鹿市にある古代山城「鞠智城」が1300年前といいますから、そんなには変わりませんね。
(感覚的に・・・)

この石碑の上に立ってみると、当時の柱になった気分になります。
足元から何かが(?)伝わってきます。
(ちょっと誇張しています)

浄水寺跡4

これも古い石碑の一つ。
石柱でしっかりとガードされています。
でも、読めません。

熊本にはもっと古い寺院(跡)もあるようですが、「浄水寺跡」も特別な感じがしました。
石碑は学術的にも貴重なもののようですし、伽藍(寺院を構成する重要な部分)の配置も法隆寺式という説明もありました。
いつの日か、多くの人(一般の人)に注目されるときも来るのではないでしょうか。
(想像)

下郷神社

これが「下郷神社」の社殿です。

下郷神社2

手水の使い方が、かわいらしい小僧で説明してあります。
ちょっと歴史を感じますね。
“奉納”と書いてありますが、下には広告が。
このお店の人たちが奉納したのでしょうか。

薬師堂

これは、「下郷神社」の社殿の隣にある「薬師堂」です。
古そうな木造の観音様がいらっしゃいました。
“石”ではないので、飛ばします。

下郷神社

土俵のようなものもありました。
ちょっと小さめですが、子ども相撲などが奉納されているのかもしれません。
(土俵じゃないのかもしれません)

今回はとてもラッキーなことに「浄水寺跡」に辿り着くことができたのですが、こういうことは経験上、稀だということは理解しています。
でも、前回山鹿市の仁王像で迷走したこともあり、今回のようなことが“石のお導き”として起こったのではないかとも思っています。
世の中ってそんなものかもしれませんね。
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石のお導きか?石橋と古代寺院跡をめぐる①【山崎橋】(宇城市)
2010 / 05 / 26 ( Wed )
久しぶりに宇城方面へ行くことになり、せっかくなので、通り沿いにある石橋を見てみようということで、宇城市豊野町にある「山崎橋」へ立ち寄りました。

山崎橋1

石橋の優等生的なきれいなアーチを描いています。

写真と撮っていると、近所のおじさんが歩いて来て「午前中に来ると、こっち(下流)から写真がとれるのにねえ」と言ってそのまま行ってしまわれました。
確かに、午後だったため、太陽の光が当たって上流側から撮影していました。
下流側からの石橋の見た目がとてもいいのかと思って見てみましたが、そうでもなかったので、結局何のアドバイスだったのか、いまいち「?」でした。
(なんかモヤモヤ・・・)

山崎橋4

小熊野川に架けられた石橋「山崎橋」は、天保2年(1831)に架けられ、慶応2年(1866)に欄干が取り付けられたと説明板に書いてありました。残念ながら石工は不詳と書いてあります。
でも、それなりの技術を持った石工が手掛けたものと思われます。

後で宇城市のホームページを見てみると、「石工は山崎在住の茂左ヱ門、彦左ヱ門」と書いてありました。
石工が判ったのなら、説明板も書き直して欲しいですね。

この石橋で有名なのは、この石柱↓

山崎橋3

「車一切通遍加良須」

と刻まれています。
「車一切通るべからず」という意味です。

山崎橋6

確かに通れません。

山崎橋5

ちょっと欠けていますが、道しるべがあります。
左・・・マソ?ウ?
昔の人は、こういうのを頼りに、旅をしていたんですね。
方向音痴の方は大変だったことでしょう。

山崎橋2

ここでちょっと気になることがありました。
上の写真は山崎橋の欄干なんですが、とてもきれいです。
ただ、先述した“慶応2年(1866)”という欄干を作った年を考えると、どうも疑問です。
コンクリートに見えます。
(おそらくそうでしょう)

これも説明板できちんと表示してほしいですね。
説明板が書かれたのは昭和58年ですよ。(写真参照)
ひょっとして説明板自体が文化財的扱いになってるのでしょうか?
であれば、それを説明する看板が必要ですよ。
(なんかこんがらがってきました)

山崎橋7

近くにあるお地蔵さんを見て、ちょっと一息。
木の中にもいらっしゃいます。
きれいな花が、地元の方にとても大切にされているというのを物語っています。

この後、道を上流へと進み、偶然“古寺院寺跡”に出会うのでした。

(次回へ続きます)
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仁王像を求めて・・・解決編【岩隣寺、菅原神社】(山鹿市)
2010 / 05 / 24 ( Mon )
おまたせしました。
迷走を続けていた仁王像探しもようやく完結します。

実をいうと、前回の「二宮大明神」の後タイムアップを迎え、出直し捜索となりました。
今回は、ネットで場所をチェックし、ダイレクトにその場所へと向かいました。
あいにくの雨ですが、仁王像に出会えると分かって行くので、それほど苦にはなりません。

岩隣寺

ということで、いきなり仁王像の登場!

ここは神社ではなく「岩隣寺」というお堂です。
山鹿三十三観音の一つでもある「岩隣寺」は、珍しい板碑レリーフの観音様がいらっしゃいます。
ちなみに“レリーフ”とは英語で、“浮き彫り”という意味です。
一般的に使われているようで、実際は意味を知らない人も多いんじゃないでしょうか。(私が知らなかっただけかも・・・)
そもそも何故英語が使われているか理解できません。
“板碑浮彫観音像”のほうが、歴史を感じさせてくれるし、日本的だと思うんです。

岩隣寺2

お堂の中の下の部分が板碑レリーフ(浮き彫り)の観音様です。
この観音様がご本尊といわれています。

岩隣寺3

板碑部分のアップですが、ちょっと分かりづらいですね。
説明含め、山鹿市の観光情報サイト「山鹿探訪なび」に分かりやすい写真が掲載されていますので、そちら↓をご覧ください。
http://www.city.yamaga.kumamoto.jp/kankoh/03-rekishi/ganrinji.html

で、仁王像に戻ります。

岩隣寺仁王像1岩隣寺仁王像2

右側が「阿」(あ)で、左側が「吽」(うん)です。
「阿」のほうは、残念ながら腕がとれていますが、「吽」は迫力があります。
なんだか偉そうです。
それにしても、もし腕が残っていたら、どんなポーズをとっていたのでしょうか。
おそらく、片腕を上げて、もう片方は下げていたでしょう。
(他の仁王像から推測・・・)
それとも、ガッツポーズかもしれません。
残念は残念ですが、そんな想像ができるので、まあいいのかもしれません。

岩隣寺"仁王像3"

これは背中です。
意外と薄っぺらいんですね。
背中も大事ですよ。はい。

菅原神社

「岩隣寺」の目の前にある「菅原神社」(天満宮)です。
仁王像はもともとこの神社にあったそうです。
何故移ったのかは不明でした。

せっかくなので、ちょっと覗いてみることに。

菅原神社2

楼門を覗いてみると、台座らしきものがありました。
仁王像があったにしては小さいですね。
何かがあったのでしょう。

菅原神社3

彫刻が立派な狛犬です。
存在感があります。

菅原神社4

雨で濡れているせいでしょうか、“なんだ!”と怒鳴られそうな表情です。

ともかく、迷走の末ようやく仁王像に辿りつきました。
なかなかのもんでしたね。
珍しい板碑レリーフの観音様も拝むことができましたし・・・。
結論として、価値ある迷走だったということでしょう。

次の仁王像を求めて、またあちこち行きたいと思います。
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仁王像を求めて・・・迷走⑤【二宮大明神】(山鹿市)
2010 / 05 / 21 ( Fri )
期待もむなしく金毘羅神社などなどを後にし、そろそろ仕事場へ向かおうかと思っていると、道から少し入ったところに木が集まっている場所を発見。
(その前に、「生目神社」がありましたが、仁王像はないと思ったのでスルーしました)
ひょっとして神社、そして待望の仁王像があるのではと思って近づいてみると、小さいながらもしっかりと楼門がある神社に辿りつきました。
(ちょっと期待)

二宮大明神1

鳥居の額には「二宮大明神」の文字がありました。阿蘇神社の“一の宮”に対しての“二宮”なのかなあ・・・と思いましたが、分かりません。
違うところに“二宮”なのかもしれません。
子ども用の“止まれ”の白線と足型を見ると、この神社が子どもたちの遊び場になっていることが想像できます。
保育園や小学校が近くにあるようです。

二宮大明神2

上の写真はここの楼門と社殿ですが、手前に“掟”と刻まれた石柱が立っています。
どんな掟なのか、読んでみました。
(なんとなく理解しました)


一.車馬ヲ乗入ル事
一.鳥獣ヲ捕フル事
一.木竹ヲ伐ル事
一.馬場筋牛馬ヲ繋グ事
右之条々堅ク禁止スル●也
 ←一部読めない・・・モノかな?
明治三十三年四月 氏子中

二宮大明神3

おそらく、今でもきちんと守られているでしょう。
馬など見かけないし・・・。

二宮大明神4

楼門の中には、小さな恵比寿様(?)がいらっしゃいました。
恵比寿様よりも大きな餅が供えてありました。
結構前のお餅かな。これまたアンバランスですが・・・

どうやら仁王像はここにも無いようです。
残念・・・というか精神的に疲れてしまいます。

二宮大明神5

社殿内に奉納されていた鯰の絵です。
やはり、阿蘇神社と関係があるのでしょうか・・・。

社殿の隣りで、気になるものを発見!!!

二宮大明神6

石燈籠の台座部分でしょうか。
脚の曲線部分からして、なかなかのものだと感じました。
ひょっとすると、石工・仁平の・・・と想像は膨らみます。
(ちょっと疲れがとれました)

二宮大明神7

こんなものが置いてありました。
おそらく銅板でできています。
(銅葺記念碑というのが建っていたので)
紋を見ると、“並び鷹羽”です。
これは菊池神社の紋と同じです。
阿蘇神社は鷹の羽が交差する“違い鷹羽”です。
古くは、菊池氏は阿蘇氏の氏子だったので、阿蘇氏と同じ鷹の羽を使った紋にしたという話もありますので、なんとも言えないところではありますね。

というわけで、ここでも仁王像には出会えませんでした。
でも、なかなか興味深い神社でしたね。
(すっきりしない部分もありますが・・・)

次回でようやく仁王像に出会いますので、もうしばらくお待ちください。
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ホームなのにちょっと寂しい・・・ゆるキャラまつり
2010 / 05 / 20 ( Thu )
今月5月30日(日)にグリーンランド(荒尾市)で、

全国ゆるキャラ(R)まつり!

が開催されることをたまたま知りました。
「ゆるキャラ」に(R)が付いていますが、商標登録されているんですね。
(まあ当然ですが・・・)

それにしても、ゆるキャラを使ったイベントがすでに商売化されていて、グリーンランドのような場所で集客の手段として活用されているんですね。仮面ライダーやアンパンマンなどのショーと同じようになっていることに感心してしまいました。
そこまで地位が確立(?)された“ゆるキャラ”は、どこへ向かっていくのでしょうか・・・。

グリーンランドのサイトです↓
http://www.greenland.co.jp/park/event/2010/03301707.html


ゆるキャラたちによる、フットサル大会も行われるようです。
なんとなくイメージできます。

ほんと、全国から集まるようですが、中でも宮崎の「たか鍋大使くん」は、特に印象的なゆるキャラです。
最初、どんな鍋料理が有名なのかと思ってしまいました。

ホームである熊本からは、「清正くん」が出場。
・・・って、これだけ?
もっとたくさんいるのに1体とは寂しいですねえ。
ひょっとして飛び込み参加もあるのかもしれません。(ないかもしれません)

それよりも、荒尾市のキャラが欲しいところですね。
そのうち、「万田坑」のキャラ「まんだろうくん」や「荒尾大師」のキャラ「あら尾大使くん」などがつくられることでしょう。(あくまでも想像です)

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仁王像を求めて・・・迷走④【金毘羅神社など】(山鹿市)
2010 / 05 / 18 ( Tue )
もうそろそろ、完結させたいのですが、今回含め後3回ほどお付き合いください。

石段「金毘羅神社」を目指し(というより仁王像を探しに)、何やら期待感を持たせる苔むした石段を登りました。やぶ蚊やよくわからない虫に付きまとわれながら、石段を過ぎ、山道を“結構”歩き続けること約5分。ようやく入口に辿り着きました。

湧水1

そこには、参拝者を和ませてくれる湧水。
岩清水が湧き出しているのでしょう。

湧水2 湧水3

親切に杖も準備してありました。
どうやらケナフ製のようです。
一句詠んであります。

環境にやさしいケナフ素材を転ばぬ先の杖として使って、環境問題についても考えて欲しいと訴えています。一人ひとりの意識改革が環境にとっての転ばぬ先の杖なるということを伝えたいのでしょう。
よく分かります。

そして、ここには「金毘羅神社」だけでなく、いろいろと集まっている場所でした。

穴観音

これは「穴観音」です。
岩の裂け目(穴)に観音様がいらっしゃるのでしょう。
観音様なので、神社ではありませんね。

舞台?

その隣りには舞台(?)がありました。
神楽でも奉納されるのでしょうか。詳しくは分かりませんでした。

金毘羅神社2

これが「金毘羅神社」の鳥居です。
最初から数えて4つ目です。しかし、まだ社殿は見えません。
ここから勾配が急な石段を登ると社殿が見えてきます。

金毘羅神社3
(逆行で眩しい・・・)

金毘羅神社4

ようやく「金毘羅神社」に到着しました。
「金毘羅神社」は、
金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)、琴平神社(ことひらじんじゃ)、金比羅神社(こんぴらじんじゃ)は、香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮を総本宮とし、その主祭神である大物主神を祀る神社。
江戸時代に船による流通が盛んになると、海運業者や商人によって金毘羅信仰が日本中に広められ、分社が各地に作られた。明治維新による神仏分離・廃仏毀釈によって神仏習合の金毘羅大権現は廃され、大物主神を主祭神とする神道の神社になった。現在、金刀比羅神社・琴平神社は日本全国に約600社ある。

(フリー百科事典「ウィキペディア」より)

と、説明されていましたが、ここは海というよりは山ですよねえ。
菊池川と関係があるのでしょうか・・・?

金毘羅神社5

“ウコンの力”が奉納されていました。
神様もお疲れなのかもしれません。
(それとも飲みすぎ?)

宮地嶽神社

「宮地嶽神社」もあります。
日露戦争で無事に還ってきた人たちを記念して建てられたようです。
“枢露凱旋記念”と書かれた額が飾ってありました。碑もあります。

石垣

ここを少し下ると立派な石垣の上に建てられているのが分かります。
(右上が「宮地嶽神社」、左奥に舞台が見えます)

石橋

右手には水の流れをつくるための水路でしょうか。
その上に小さいですが石橋が掛けられています。
この辺りが一番テンションが上がります。

足手荒神

また「足手荒神」も祀られています。
ミニ鳥居もありました。
粟島神社だけではないんですね。

いやーいろんな神様、いや、神様だけでなく観音様までいらっしゃって、とても賑やか(?)な場所でした。
しかも、他の神社のようにメインがあって、そのサブ的な神様(観音様)というわけではなく、それぞれが同じような大きさで、同格に存在している印象でした。
虫に刺された甲斐がありました。

で、

期待したのですが、肝心の仁王像はどこにも見当たらず・・・。
まだまだ迷走は続くのでした。
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熊本のゆるキャラネタ・・・追いつきません
2010 / 05 / 07 ( Fri )
熊本の魅力(?)を私なりに紹介している中、少しずつですが、「ゆるキャラ」と呼ばれるものも何度か取り上げ、コーナーまで設けていました。

が、しかし。

最近忙しいせいか、情報収集不足もあり、あちこちで「ゆるキャラ」が出没していました。
(ちょっと古いものもありますが、ご了承ください)

タマにゃん

これは、玉名市のキャラ「タマにゃん」です。
玉名女子高でしたか・・・ちょっと憶えてませんが、音楽に力を入れられてますよね。
高校生らしい発想のキャラで、ほほえましさを感じます。
(でもゆるキャラ?)

ご当地検定「玉名人検定」のテキストの表紙も飾っています。
(この情報も載せなきゃ・・・)

ちなみに、どこかのサイトで、このキャラはオスかメスか?というクイズを見かけました。


阿蘇市キャラ

えーっと、少し前ですが、漫画家の川崎のぼる氏が、五木村に続き手がけたゆるキャラです。
阿蘇市のキャラですが・・・レトロな雰囲気が特徴です。
「五岳くん」「火の子ちゃん」です。

「せんとくん」も最初は評判が悪かったですが、徐々にいい味を出しているキャラとして浸透していきました。
がんばってほしいです。

これ以上はコメントできません。(あー)


錦町ゆるキャラ 錦町萌えキャラ

以前ここでも紹介しました球磨郡錦町の“ゆるキャラ”と“萌えキャラ”が発表されました。
まだ名前は付いていないようです。

“萌えキャラ”って、こういうイメージだったんですね。
ちょっと勘違いしていました。(←どういう風に?)

落ち着いたら、図鑑にも掲載しようと思います。

他にもいろいろと生まれているんでしょうね。
追いつきません。
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仁王像を求めて・・・迷走③【不動岩~金毘羅神社など】(山鹿市)
2010 / 05 / 06 ( Thu )
まだ続いています。

しだいに不動岩が大きく見えてきました。
と同時に、鳥居を発見したので近づいてみると・・・

金毘羅神社1

金毘羅神社2

ちょっと欠けていますが、金毘羅神社のようです。
もしかして、ここに仁王像があるのかも・・・と期待して先へ進みました。

不動岩

不動岩の眺めもいいです。

車でちょっと進むと、観音様がありました。(?)

観音様

そして近くには「山鹿三十三観音」の二十二番礼所「凡導寺」がありました。

凡導寺2

なんか、ごちゃごちゃしてきて、頭の中が整理できません。
神社の鳥居・・・観音様・・・寺(跡?)・・・

一応、山鹿市の文化財の「善光寺式一光三尊像」というのを拝もうと思ったのですが、閉まっていて見ることはできませんでした。

さらにその手前には、古い建物があります。

オードリー1

古い建物ですが、その上に屋根が付いています。
しっかりと守られているこの建物は・・・

オードリー2

NHKの朝の連ドラ「オードリー」のロケで使用された家だったのです。
なつかしーですね。
10年前です。

でも、もともと汚い(古い)ので、しっかりと保存されているかどうか判断できません。

再び金毘羅神社を目指して車を進めました。
何やらお寺に行きつきました。
車を降りて、ちょっと歩いてみると、お坊さん(←誰かは分かりません)を中心に、ぐるりと観音様(?)が囲んでいるミステリーサークルに辿りつきました。

DSC_0052_20100506211029.jpg

ちょっと怖かったし、やたらと虫が飛んでいたので、足早に戻りました。
慌てていたので、お寺の名前も確認しませんでした。
大きかったので、有名なお寺だと思います。

そこの脇の道を進むと、再び金毘羅神社の鳥居があって、行き止まり。

金毘羅神社3
(帰りはバックで戻る羽目に・・・)
まだまだ金毘羅神社には着きません。

行き止まりから、歩いて先へと進みました。
このあたりで、先に進もうか進むまいか、かなり悩みましたが、鳥居の奥に長く続く石段を見ると、先に何やら面白いものがありそうな予感がして、私の背中を押してくれました。
(相変わらず虫が多いですが・・・)

金毘羅神社4

正直、ここから先が大変でした。
かなり疲れました。

説明するのにも体力がいりそうなので、続きはまた次回へとさせていただきます。
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仁王像を求めて・・・迷走②【蒲生の池~不動岩】(山鹿市)
2010 / 05 / 03 ( Mon )
前回えらく中途半端に終わってしまいました。
(時間もたってしまった・・・)
失礼しました。

仁王像を求めて、まず「蒲生の池」に行ったという話でした。

蒲生の池4

その場所にある「蒲生の池(かもうのいけ)の案内板です。
「湯之口溜池」という別名での説明がびっしりと、細い字で書かれています。
すごい技術ですね。

読んでみると、なんとなく意味は分かるんですが、私には難しいですね。
遠山弥次郎という人が苦労の末完成させたということのようです。
(↑もちろん一人で掘ったわけではありません)

↓こちらのサイトが分かりやすいです。

地域発 ふるさとの自然と文化(熊本県)

池の脇には、遠山さんの神社が建っています。
蒲生の池5

蒲生の池6

これにも何か意味があるのでしょう。
気になったので撮影しました。

肝心の仁王像は、ここにはありません。

蒲生の池7

記念碑が建っていました。
台座のあたりがちょっと変わっています。

蒲生の池8

当時使用されていた水路の一部でしょうか。
修復したときに、使用しなくなった水路の一部だと思われます。
こういうのって嬉しいですね。

蒲生の池3

ここからは「不動岩」を望むことができます。

蒲生の池10

山鹿市の基準点という看板がありました。
「大切にしましょう」と言われても・・・どうすればいいのでしょうか。
でも大切なものだということは分かります。
(基準って大事ですよね)

さて、これから、仁王像を目指して「不動岩」方面へ車を走らせました。

不動岩1

桜並木の道がとってもきれいでした。
(当時はまだ桜が咲いていました)
終わりかけだったので、風で花びらが舞い、木から流れ出しているような光景を見ることができました。
写真では分かりませんが、とっても風流でしたね。

日本に生まれて、よかったー。
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